映画「ハンナ・アーレント」
ドイツ系ユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントが、アイヒマン裁判を傍聴してザ・ニューヨーカー誌にレポートを掲載する。
アイヒマンを「悪の凡庸さ」と規定する。彼がユダヤ人ホロコーストに加担したのは、組織の一員として命令に従っただけだからで、彼にはユダヤ人への憎しみもなければ自責もない。凡庸な人間が思考を停止したときに巨大な悪が生み出されるのだ。ユダヤ人指導者たちの中にもナチスに協力した者がいて被害が拡大したが、これも同様の思考停止から来たものだ。
ハンナに対して、ユダヤ人への裏切り、ナチスの手先だといった激しい非難が、特にユダヤ人たちからあげられる。
ハンナは応える。私はユダヤ人という一つの民族を愛したことはない。友人を愛するだけだ。人間は思考によって知識を得るのではなく、善悪や美醜の判断ができるようになる。思考が人間を強くするのだと。
ハンナ・アーレントの言葉は知識人に向けられている限りは鋭く有効だろう。知識人たちが知識をもてあそぶだけで本質的思考を放棄している姿を、私たちは嫌になるほど目にしてきたのだから。しかし彼女の言葉は決して「大衆」には届かないのではないか。少なくともこの映画の中では、ハンナ・アーレントは何故人々が思考を停止するのかを明らかにしようとしてはいない。そこを追究しなければ、彼女の言葉は高慢さを露わにした非難にしか聞こえない。
せっかくの素材を生かしきれず、表面的なものに終わってしまった作品と感じた。
por Andrés
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