無料ブログはココログ

カテゴリー「スペイン留学生活」の100件の記事

2010/02/22

私のホテルランキング ベスト5

続いて、もう一度訪れたい素敵なホテルベスト5は?

第5位 Parador de Guadarupe グアダルーペ

1泊ツイン朝食込み 70ユーロIMGP1338

山の中の小さな村。聖母マリアの像が出現したために聖地として巡礼者が訪れるようになった静かな村。村の中心はReal Monasterio de Santa María de Guadalupe という修道院。そのすぐ隣にParadorがあり、宿泊者も修道士の一人になった気分が味わえる。

部屋の施設は一流ホテル並みで天井が高く広々としている。ベッド上の壁にはマリアの絵、棚は中世風の素朴な作り。修道院経営のレストランは値段が安く、味も量も満足できるものだった。ゆったりした時の流れと静けさを味わいたい人向け。近くのバルのコーヒーやパンの値段が観光客用なのか高めだったのが残念。

 

第4位 Parador de Mérida メリダ

1泊ツイン 80ユーロIMGP0950

メリダは古代ローマ帝国時代にスペイン統治の中心都市の一つだった。街はローマ遺跡と共存。もちろんParadorも遺跡と違和感のない古い建物を利用したもの。部屋は広く、アメニティもおしゃれ。ウェルカムチョコ2粒がベッドサイドに可愛い箱で置かれていて、思わずにこっ。浴室のバスは大きくお湯もたっぷり使える。洗面台も二つあり全体に贅沢気分にひたれる。

 

第3位 Oficentro マラガ

1泊1部屋 29ユーロIMGP0549

6週間語学学校通学のために暮らしたアパートホテル。コンパクトだけれど冷蔵庫は大きく台所は使い勝手がいい。掃除とタオル、シーツの交換は週に一度だが、掃除用具を用意してあるので、清潔。マラガは年中暖かいせいか、バスルームはシャワーのみ。ベッドのクッションは良好。クローゼットが大きいので収納が楽。近くにおいしいパン屋さんとこれぞ生ハムという食料品店があり、市場にも近いので食生活は充実していた。夜中に通りの人声が響いてくるのが難点、でも酔っ払いのフラメンコの歌声は良かった。

 

第2位 Lawrence's Hotel ★★★★★ シントラ

1泊ツイン朝食込み 65ユーロIMGP0840

ポルトガル最古の由緒あるホテルなのに、シーズンオフで半額以下。部屋には天蓋付きのベッドがドーン。ビュッフェ形式の朝食付きで食器はホテルオリジナル。コーヒーと紅茶を大きめのポットでサービス。果物もよく吟味されていてお客さんを大切にしているのが伝わってくる。崖の上の狭い土地を利用しているので、駐車場は少し離れた場所。レセプションで門の鍵を借りて車の出し入れをするのがちょっと大変だが、それもシントラならでは。山の上に建設されたペナ宮殿は奇妙さゆえにお薦めの見学場所。

 

第1位 Abadia de Yuste クアコ デ ユDSC05104ステ

1泊ツイン 朝昼食込 124ユーロ 

スペインの4連休で宿の予約がなかなかできず、なんとか捜し当てた旅籠屋といっていいホテル。昼前に到着したがすぐにチェックインでき、部屋へ。二階の足音は気になったが部屋は広く冷蔵庫もあり、Parador並みの施設。お風呂はジェットバスでびっくり。
昼食は以前に紹介したが、味も量も最高。一人分を二人で食べたので格安。朝食のオレンジジュースは生しぼりでハモンセラーノも食卓IMGP1109に並び、パンもおいしい。チェックアウトの際にはオリーブオイルとピメントのお土産とサプライズ続出。本当に小さな村だが湧水に恵まれ、自然の豊かさを満喫できた。もう一度このホテルに泊まり食事をしたいと思う一押しの宿だ。

por Amelia

2010/02/15

私のホテルランキング ワースト3

長い旅行の間には期待はずれのホテルにも出会う。それも後ではいい思い出になるが、できるなら避けたいものだ。値段の割りにがっかりの宿は?

第3位 Hotel las Cigüeñas  トルヒージョ ★★★

1泊ツイン朝食付き 72ユーロ

エストゥレマドゥーラ地方の小さな町Turjillo、ここはアメリカ大陸侵略で名を馳せたピサロの生地、マヨール広場周辺の建物は南米大陸 から流れ込んだ富のすごさを感じさせる。ピサロは後に暗殺され、彼に対する町の評価も低いように思えた。中心部のホテルは連休のため満杯。ようやく取れたここは国道沿いのドライブインホテル、西陽が射し込むせまい部屋、隣はガソリンスタンド。朝食のクロワッサンは美味しかったが、殺風景だった。

第2位 Apartohotel Tribunal マドリー ★★★

1泊1部屋 56ユーロDSC05187

旧市街にあり観光に便利、台所付き、安いというので選んだがホテル前の通りは落書きが多く、近くのBarのコーヒーも割高。台所は使い勝手が悪く、コンロもなかなか熱くならないので、自分で料理するのはあきらめた。部屋は中庭に面しており外の騒音はあまり聞こえなかったが、壁が薄く隣の話し声が筒抜け状態。9日間滞在したスペイン最後の宿だったが普通のホテルにしても良かったと思う。

第1位 Posada de Loios  エヴォラ

1泊ツイン 朝夕食付き 203ユーロ IMGP0921

最悪でした。贅沢しようとスペインのパラドールに当たるポザーダを選んでわざわざ夕食までオーダーしたのに、大損でした。由緒ある建物なのだが部屋は狭く、駐車場からベッドルームがのぞけるような作りになっていて、泥棒に入られたいやな夢を見てしまった。バスローブが2着用意されていたのは嬉しかったが、バスタブは排水が不IMGP0948備で足拭きマットがぐっしょり、ちゃんと点検してないんだと情けなくなった。特にひどかったのが夕食、量は多いが塩辛くてメイン料理は半分も食べられず。他の料理も大味で1人36ユーロなんてぼったくりだぁと思う程。唯一救いだったのがTemplo de Diana前の狭い駐車場から車を出したり、笑顔で荷物を運んでくれたドアボーイの存在だった。

por Amelia

2010/01/13

Madridのデモ

DSC05184

12月12日(土)、Plaza de Cibelesで大規模なデモに出くわした。

UGT(労働総同盟)とCCOO(労働者委員会)との合同集会・デモで、全国からやって来た組合員たちが地方ごとにまとまってアトーチャ駅の方からCibelesに続々と向かっていた。

IMGP1414デモの主張は「経済危機を利用して労働者の権利を奪うな!」というようなこと。しかし子供連れなどもいて、緊迫感はない。演壇も見当たらず、スピーカーも使われず、拡散した雰囲気。

「卵を投げてつけ、危機に別れをIMGP1477」と書かれたベニヤ板製の工作物が置いてあった。左にサパテロ首相(PSOE=社会労働党)、右にラホイ党首(PP=国民党)の写真。しかし中央の写真ははがされていて誰だかわからない。国王なのだろうか。いくつか生卵の投げつけられた跡が残っていた。

近年の日本では大規模デモが行われることはなくなってしまったが、ヨーロッパではこのくらいの規模のデモも珍しくない。しかもそれが時には政治を変えることもある。政治文化の違いなのだろうか。

por Andres

2010/01/02

エストレマドゥーラ、貧しい土地、征服者たちの故郷

IMGP1122

エストレマドゥーラ、スペイン西部、内陸部、ポルトガルとの国境、昔も今もスペインで最も貧しい地方。貧しさゆえに、かつてはアメリカ大陸へConquistador(征服者)を大量に送り出した土地。そんな土地の荒涼とした風景を確かめたくてエストレマドゥーラを回った。

確かDSC05058にそこには農業と牧畜以外には目立った産業はなく、さまざまな統計が示すように経済では現在でもスペインで最も「貧しい」地域には違いないようだった。しかし広がる農地や牧場は、12月だというのに思いのほか緑が濃く、貧しさを感じ取ることはできなかった。

 

IMGP1046

Trujilloはインカ帝国を征服したピサロの生まれ育った町で、生家は博物館として公開されている。ピサロもまた貧しく無学文盲だったと聞いていたが、家は大きくも豪華でもないが、決して貧しく崩れ落ちそうというものでもIMGP1049なかった。もちろんピサロが一攫千金を夢見て「新大陸」に渡り黄金を手に入れたこと、ピサロに同行して大金を手にした有名無名のエストレマドゥーラ人が多くいたこと、アステカを征服したコルテスもエストレマドゥーラ人だったこと、彼らほど知られてはいなくても他にも多くのエストレマドゥーラ人が「新大陸」に一旗あげに行ったことは事実だ。にしても彼らが貧しく15世紀にはそこから逃れる唯一の可能な道は「新大陸」だったというのは、分かりやすい説明ではあるが、単なる思い込みだったのかもしれない。

por Andres

2009/12/19

Andrés スリに遭う!

Madrid最終日、朝8時過ぎ、帰国のためにホテルをチェックアウトしTribunalで地下鉄に乗って空港へ向かった。通勤ラッシュの時間で車両の奥に入れず、乗降口に立たざるを得なかった。次の駅で乗ってきた20代前半の男が、最初は私の右側に立っていたのだが、やがてバッグを持っていた左前方に移動した。

私のジーパンの右前ポケットに誰かが手を入れたのを感じた。痴漢かスリか。

¿Qué haces?(何をしてる)

そう言いながらその手をつかんで上げると、男は掌を開き「何もしてない」というような身振りでちょうど開いた扉から降りた。彼の手には何もなかったし、私のポケットには万歩計が入っているだけで、何も盗られてはいないようだったので手を離した。

今回は幸い被害なしで済んだが、本当にMadridは一瞬の油断も見せられない街だ。

出発がラッシュ時に重なってしまい混んだ地下鉄に乗ることになってしまったが、人混みでは気を付けて、どころか人混みは避けるようにしなければいけないようだ。

Ameliaに続いてAndrésまで掏られたのでは、いい教訓になった、ではすまないところだった。

por Andres

2009/12/18

Amelia スリに遭う! その2

昨日受け取った盗難証明書と写真2枚、盗まれたパスポートのコピーを持参して、日本大使館に手続きに向かう。大使館街の一角にあり、近くにはアメリカ大使館、そこはPolicia Españolaも警備についていたが、あまり緊張感はなかった。スペインとアメリカの関係は良好のようだ。

日本大使館は大きいがIMGP1496あまり特徴のない建物で、守衛室横の壁に取り付けられたインターホンを押すとガチャンとカギが開く。まずはパスポートの提示、といっても私は持ってないので盗難証明書を見せると訪問者リストに記入し、Visitanteと明示された入館証を渡された。それを服に着けて二階の領事部へ。

パスポート関係はそこで対応しているとのこと。窓口に行くと、航空券(e-チケット)の提示を要求された。大使館のインターネット情報には書いてなかったので持参していなかった。盗難に遭った時点で電話すべきだったと反省。書類を書いている間にAndrésがホテルに取りにもどってくれた。写真も一枚にホチキスの穴があるので使用不可、徒歩10分の写真屋さんを紹介され撮り直し。(6枚セットで5€)

IMGP1546盗難被害届、旅券失効届、渡航書発行申請書など4枚ほど記入。何か所も本籍を記入する箇所があり、けっこう時間がかかった。13時半には午前の部が終了するのでぎりぎりにすべてを揃えて提出。昼食をとって時間をつぶし、午後の4時過ぎには17€を支払い“帰国の ための渡航書”を受け取ることができた。これでひと安心。帰国だけは大丈夫!

大使館ではパスポート(一般旅券)の再発行も可能だが、そのためには戸籍謄本か抄本が必要とのこと。日本から取り寄せることになる。今回は帰国できればいいので、抄本などはいらない渡航書を申請したのだが、旅行のスタート時だったら大変だった。

使いすぎてチャックがいかれてしまった被害バッグを捨てることにし、代わりのバッグを購入した。

2009年の盗難被害者数1名増加。

皆さん、人混みでは持ち物に十分ご注意ください。

por Amelia

Amelia スリに遭う!その1

とうとうやられてしまった。平和な田舎町を旅したあとのMadrid、気をつけるべき場所でうかつにも油断してしまった。

12日(土)午後9時40分頃、大勢の人でごった返していたGran Via通り、ソフィア王妃芸術センターで閉館まで見学してくたくた状態でBocadilloを買おうと急ぎ、肩から斜めがけにしていたバッグが背中側になっていたのも気付かず、店でバッグが全開なのであれっと思って調べたら、ポーチがない?! 中には大切なパスポートが・・・。

ホテルにもどって再度調べてもやはりない! まったく知らないうちに抜き取られてしまったのだ。カメラやバッグの底に沈んでいた財布は無事だったので、被害はパスポートのみ。

ネットでどうしたらよいか調べると、スペイン警察に行き盗難証明書をもらって、日本大使館で再発行手続きをすることとあった。

902102112に電話すると、日本語で対応してくれる担当官につないでくれ、被害状況や本人確認などをする。ところがプリペイドの携帯電話が途中で切れてしまい、ホテルの電話で何度かかけ直し、ようやく被害届番号とどこに出頭したらいいかを教えてもらった。

IMGP1469翌日ホテルから一番近い中央警察署に出頭。待合室に通され待つこと10分。先客は女性2人。お互いに自分の身に起きたことを話していた。

担当の警察官は、はじめは英語で対応していたが、スペイン語がいくらか分かる旨伝えると、盗難によく遭うのはイギリス人やドイツ人で、日本人は気を付けているので少ない、スペイン語を話す日本人は初めてだ、勉強するのにアンダルシアのスペイン語はよくないなどと世間話しもしてくれた。

ブースは数か所用意されていて、日本の銀行の窓口のようだった。担当官の椅子が擦り切れて中の黄色いスポンジがはみ出していた。修理する間もないほど働いているのだろう。

スペイン語で記載された盗難証明書の内容を確認、日付が間違っていたので訂正し新しく打ち直した書類4枚にサインをし、一枚もらう。

帰る時に立ち番の警官がHasta luegoと手を振ってくれた。いい感じだったけれどまた行くのは・・・ですよね。

por Amelia

2009/12/17

20年ぶりのMadrid

久しぶりのMadrid。宿がGran Viaから数百メートルのところなので、早速出かけてみた。まず目に入ったのがCasa del Libroというスペインの紀伊國屋のような書店。中に入ってみると、緑色の棚が記憶を呼び戻してくれる。さらに少し歩くとCafe “ZAHARA”。モーニングサービス(朝食セット)が安くておいしかったので、何度か通ったものだ。翌朝出かけてみると、店内の様子は大分変わってしまったように思えた。奥のテーブル席が広がり、2階はインターネットカフェになっていた。しかしメニューにはちゃんと朝食セットがあった。セット内容は詳しく覚えていないので変わったかどうかはわからないが、基本のCafe con lecheとクロワッサンで2ユーロと安さに変わりはなかった。

その先、Plaza del Callaoに面して、確か以前はGalerias Preciadosだったところが、これを吸収合併したCorte Inglesになっていたのは予想通りだったが、その向かいがfnacになっていたのには驚く理由はないのに、虚を突かれたようだった。

何よりも驚いたのは、スターバックスの進出ぶり。MálagaはもちろんのことValenciaでもBarcelonaでもほんのわずかしか見かけることのなかったスターバックスが、ここMadridでは東京以上に、東京の数倍、あるいは十数倍といった頻度で目に付くのだ。しかもどの店舗も客で賑わっている。安くておいしいコーヒーを飲めるBarがどこにでもあるスペインで、なぜスターバックスなのか。マクドナルドも他のスペインの都市よりもよく見かけるし、他ではほとんど見かけないケンタッキー・フライドチキンも結構ある。ここはすっかりアメリカ合衆国のジャンクフードに侵されてしまったようだ。もともと好きではなかったMadridが、一層嫌になってしまった。

por Andres

2009/12/16

グアダルーペの聖母

CáceresからGuadalupeまで車で2時間半、どんどん山の中に入り、着いたところは修道院(Real Monasterio de Santamaria de Guadalupe)の建物が傑出した静IMGP1322かな村。すぐ隣のParador de  Guadalupeが今日の宿。部屋の中に聖母子の絵があ り、中世の生活を想像させる棚やベッドが嬉しIMGP1325い。

 

 

 

 

修道院のComedorで食事ができるので、昼食をここで取ることにした。1人17€。最初にどーんと赤ワインのフルボトル、Gaseosaの1㍑瓶、大きなパンとオリーブのTapasが出た。Primero Platoは隠元

豆と野菜の煮込みとトマトスープ、スープにイチジクの甘煮がついてそれを入れて食べると絶妙な味。Segundo Platoはラムの煮込みとAsado、この頃になるとお腹はすでに一杯なのだが、Postreのケーキとアイスクリームは別腹、最後はCafé Soloで終了。ワインは半分も飲めなかったが大満足の食事だった。

味付けに使われていたこの地域特産のPimiento Dulceをおみやげに購入することにした。IMGP1288

4時から修道院見学。ガイド嬢の案内で院内を回るだけで自由行動はなし。宝物庫の大司教のミサ服があまりに豪華なのに驚嘆。金糸銀糸、宝石がふんだんに使用されていた。どくろをデザイン化した黒い服が妙に頭に残った。

最後がこの村で発見されたグアダルーペの聖母像との面会。ここだけは修道士が担当。1人1人彼が左手に掲げる銀のメダルに聖母マリアへの愛と願いを込めてチュッ。1人が済むとすかさず布で清め、次々と列が進む。願いごとを考える間もなかった。

Guadalupeの聖母といえばメキシコが有名だが、カトリック教徒のマリア信仰の深さと教会のあり方を考えさせられた。

出発の朝、霧におおわれた村を散策、静かだった。

por Amelia

2009/12/15

レンタカーの旅

海外での運転は20年ぶりで、あまり自信はなかった。しかしマラガからポルトガルを回り、スペイン西部のエストレマドゥーラを巡るとなると、鉄道やバスを乗り継いでの旅行は時間がかかり過ぎると思い、レンタカーを利用することにした。右側通行、左ハンドルはもちろんだが、一方通行だらけの街中、細く曲がりくねった旧市街の路地、そしてロータリー。これらを克服するためにオートマチック車を借りることにした。

レンタカー会社に行って聞いてみると、割高とは聞いていたがマニュアル車の2倍近くする。しかもマラガで借りてマラガで返すのなら600ユーロぐらいなのだが、マドリッドで返すと1200ユーロ近くするのだ。これならマラガで返してAVE(スペインの新幹線)でマドリッドに行った方が安い。一旦はそうすることに決めかけたが、インターネットで探しまわった結果、マドリッド返却で700ユーロ弱のが見つかったので、AVEは次の機会に回すことにした。

借りた車はDSC04741シトロエンC4デ ィーゼル。エンジンの調子は良く、エアコンはもちろん、ワイパーもライトも「オート」にしておけば、必要に応じて勝手に機能してくれる。またラジオの選局や音量調整もハンドルにあるボタンでできるようになっている。なかなかの「高級車」だった。

マラガの街を出たのが日曜日の午DSC04743前中という一番通行量の少ない時だったので、恐る恐るゆっくりと走りながら運転に慣れることができ、郊外に出てからは高速道路や高速とほとんど変わりのない国道で、安心して走ることができた。それでもリスボンに着いた時の都会の混んだ道、メリダ旧市街の石の壁に挟まれた車の両側に10cmずつほどの余裕しかない路地、マドリッドの3車線のままで入るロータリーなどでは、緊張で汗をかくほどだった。

郊外の道はポルトガルもスペインも非常に走りやすいが、隣り合った2国でも違いがあった。ポルトガルは高速道路で有料区間が多いのに対し、スペインではほとんどが無料。サービスエリアはポルトガルでは30Kmおきぐらいにあるが、スペインではマドリッドに近づけばあるが、地方ではない。ガソリンスタンドやカフェの印につられて行ってみても高速を降りて一般道に行くだけで、何もない。しばらくして分かったのは、あの印は「ここで一般道に降りて近くの街に行けばガソリンスタンドやカフェがありますよ」という意味だったのだ。

11月22日に借りてから12月10日に返すまで、19日間で走行距離は2607.4km、軽油使用量は147リットル、軽油代は156.3ユーロだった。軽油は、ポルトガルでは1リットル1.17ユーロだったのに対し、スペインでは1ユーロだった。全般に物価はポルトガルの方が安いのだが。

常に「右側走行」、ロータリーでは「左側優先」を唱えながら運転すると、それほど戸惑うことはなかったが、マドリッドで車を返し終えたときには本当にほっとした。

por Andres

より以前の記事一覧

2021年10月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

最近のトラックバック