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カテゴリー「東海道中」の30件の記事

2010/12/31

旧東海道中歩き旅 まとめ

旧東海道を歩いてみて気付いたこと、気になったこと、これから歩いてみようと思っている方の参考になるかもしれないことを、思いつくままに記してみる。

●ガイドブック 「完全 東海道五十三次ガイド」(講談社+α文庫)と「東海道を歩く旅」(山と渓谷社)を使った。持って歩くものなので、前者は文庫、後者も薄いもの。1冊で53次すべてをカバーしているので、当然くわしい情報は載っていない。私たちは歩くことが主目的だったのでこれで充分だったが、時間をかけてゆっくり見物をというのには物足りないだろう。

●地図 「東海道を歩く旅」の地図は概略図なので歩く上では参考にならなかった。「完全 東海道五十三次ガイド」のは正確なので1日の行程全体を把握するのに役立った。歩きながら参照していたのはポータブルナビ「GARMIN OREGON300」に読み込んだ「浮浪雲(はぐれ雲)」氏作成のルートデータ(http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/list?kw=%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93%E3%80%80%E6%B5%AE%E6%B5%AA%E9%9B%B2)。非常に正確で、これを参照しながら進めば間違いはないだろう。特に旧街道が消えているところや市街地に紛れてしまっているところでは、紙の地図では非常に苦労しただろう思う。

●道路(歩道) 市街地のはまだしも、幹線道路の歩道は歩くためにつくられたものではない。

欠陥1.舗装がデコボコ。車道部分はほとんどがきれいに舗装されているが、歩道は何度も掘り返してデコボコだったり、長く舗装をやり直していないために穴だらけというところが多い。

欠陥2.傾斜。排水のためなのだろうが、路肩に向かって傾斜していて、片足に負担がかかる。車道部分よりもはるかに傾斜が大きいのは、歩行者のことを全く考えていないとしか思えない。

欠陥3.車の出入り用に歩道を部分的に低くしている。10cm程度の段差だが、数mから十数mおきに延々と繰り返されると腹が立ってくる。

欠陥4.電柱。もともと電柱の直径より少し広い程度の歩道しか設置していないところでも電柱は歩道に立てられていて、歩行者は車道に出ざるを得なくなっている。

欠陥5.U字溝の蓋。蓋の上が歩道になっているところが多いが、継ぎ目や水を落とし込むための穴に躓かないよう、足元に注意しながら歩かなければならない。

歩行者にとってさえ使い辛い歩道なので、車椅子では通行不能(たとえ介助者がいたとしても)なところが多い。都会の駅ではホームへのエレベーターの設置が進み、「バリアフリー」が浸透しつつあるように見えるが、まだまだという現状。

●食事 旧街道沿いの食事処は非常に少ない。昼食は、食べられれば幸運、と思うしかない。12時前後に食事処が見つかれば、種類も質も値段も考えずに入らないと、次は何時間後になるか分からない。

●休憩 食事処でさえ上記のような状況なので、茶店や喫茶店は名古屋の市街地以外ではほとんど出くわせない。公園のベンチでと思っても、そもそも公園がない。

●トイレ 公園が見当たらないのだから公園のトイレは当然あてにできない。一番使わせてもらったのはコンビニ。あとはお寺か神社。これも特に女性の場合は、あったら行っておくというつもりでないと困ることになる。

●宿 日本旅館だと夕食が多くて、何日も続くと苦痛になるので、もっぱらビジネスホテルを利用した。朝食つきだと朝の時間の節約にもなる。安上がりで夕食は店も選べるので良いが、朝食の質は期待できない。昼ごろには、その日にどのあたりまで進めるかが確定するので、昼食時にその日のホテルを予約するようにしていた。予約は携帯電話でiモードのホテル予約サイトを通して行った。

 

現在、歩いて旅するのは例外的なことなので、道や町が徒歩旅行者に便利なようにできていないのは当然かもしれない。しかし近所に店がない、食堂がない、本来の歩道がないというのは、「買い物難民」に象徴されるように暮らしにくい町でもあるだろう。

por Andres

2010/12/11

旧東海道 29日目(最終日)

瀬田駅(JR東海道線)~大津宿~京都三条大橋

大津のホテルを9時ちょうどにIMGP3250出て、大津駅から電車で瀬田へ移動。9時30分に瀬田駅前から歩きはじめる。

5分とかからずに東海道に出る。そこにあった道標には、「江戸日本橋まで百二十里余り」「三条大橋まで五里余り」と記されている。全行程の96%を歩き終え、今日は残り4%を行くことになるのだと、改めて感慨に浸る。

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「瀬田の唐橋」は今は欄干も鉄製。数隻のボートが橋の下を通り抜けて訓練に励んでいた。

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大津宿の手前に「義仲寺」がある。小さな寺だが、境内には木曽義仲と松尾芭蕉の墓、巴御前の塚があり、また芭蕉をはじめ多くの句碑もある。

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片隅には文芸評論家の保田與重郎の墓もある。

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大津宿に入っていわゆる大津事件の現場である「露国皇太子遭難之地」の碑。

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大津宿本陣跡には木の立札があるだけ。着いたのは12時35分。

この辺りも宿場の雰囲気を残したものは全くない。

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大津宿を過ぎて長い坂を登りきると、「逢坂の関址」。実際の場所は定かではないそうだが。

IMGP3282ここは国道1号線で、交通量が多く、坂道をスピードを上げてトラックなどが驀進して行くので空気も悪い。

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今日は昼食を13時過ぎにとることができた。それも明治5年創業の「かねよ」で。

「鰻まむし」と「きんし丼」の、それぞれ「上」を食べた。

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きんし玉子は味も良かったが、とにかくその巨大さに圧倒された。玉子を少なくとも3個は使っているものだろう。満腹になってしまった。

「かねよ」に入ったころから雨が降りはじめる。IMGP3286

食事をする個室からながめられる庭には、色あせたモミジが見られる。2~3週間前の紅葉の頃はさぞかし美しかっただろうと想像できる。

食事を終えて「かねよ」を出てみると、まだ細かい霧雨が降っていた。

国道1号をしばらく行き、山科の手前で国道から離れて市街路を通り、東海道本線をくぐってから更に細い道に入ると、最後の峠越えにかかる。急な登りが続くが、この辺りは新しい住宅や小さなアパートと、廃屋や空き地、スクラップ置き場などが混在し、長い旧東海道の道筋の中でも最も荒れているように思える。

五条通りに出て、いよいよゴールが近づく。4時半過ぎには暗くなるので、何とか明るいうちに着こうとペースを上げる。IMGP3300

三条大橋まで1kmを切ったあたりにある龍馬とお龍の「結婚式場」跡では、男女の二人連れが写真を撮り合っていた。

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わずかに明るさの残る16時45分、三条大橋に到着。

9月29日に日本橋を出発してから2ヶ月半、汗を拭きながら日に4本も500mlペットボトルを飲みほしていたころから、ダウンジャケットを着て手袋をはめても寒いような日まで。歩いた日数は29日。半ばを過ぎるあたりまでは長く感じていたものも、最後の数日は非常に短く思えた。

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三条大橋は擬宝珠だけが「らしさ」を表しているが、周囲も含めて街道の面影は全くない。橋のたもと、先斗町側には弥次さん喜多さんの像がある。私たち二人の弥次喜多道中は一旦ここで終わる。次は・・・・・。

瀬田駅から三条大橋まで21.44km。34,000歩。

この日の総歩数38,760。

por Andres

2010/12/10

旧東海道 28日目

甲西駅付近のホテル~石部宿~草津宿~瀬田駅(JR東海道線)

ホテルから500mほど歩いて東海道に戻り、石部宿に向かう。

朝方、雨が降ったようで、道は濡れ空気は清々しい。気温は昨日とあまり変わらIMGP3199ないようだが、風がないので寒くない。

1時間弱で石部宿本陣跡に着く。数メートル手前に「いしべ宿驛」という無料休憩所がある。まだ疲れてはいなかったが、ダウンジャケットでは暑くなりそうなので立ち寄って着替える。無人だがきれいに掃除されて気持ちが良い。

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本陣跡は立札と標石だけ。到着したのは9時50分。

この宿場も昔の面影はほとんどない。

宿場の中心を抜けたところにもう一つの休憩処。こちらでは飲食ができる。

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昼食をとる予定の草津宿への到着が13時半過ぎになりそうなので、ぜんざいを食べて長い歩行に備える。

IMGP3215草津宿への途中にある「和中散本舗」。家康の腹痛がここで売っていた薬で治ったとの言い伝えがあるそうだ。

 

 

 

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「手原」という町で見かけたベンチ。「手ハラベンチ」と名付けられているが、座る人はほとんどいなさそう。

 

 

 

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草津宿に着いて先ず向かったのは「うばがもちや」。国道1号線沿いにあって街道から100~200m離れている。

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柔らかい餅を餡で包んだもので、1つがひと口にも満たない小ささだが、上品な甘さの菓子。

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草津宿本陣の少し手前に東海道と中山道の分岐点があり、道標には「右東海道いせみち」「左中仙道美のぢ」とある。

 

 

 

 

 

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草津宿本陣には14時ちょうどに到着。東海道で唯一の昔のままの本陣建築で、内部には大福帳などを展示して公開している。

斜め前の蕎麦屋で昼食を済ませた後で見学した。和宮が泊った記録などが残されている。元はもっと大きかったのだろうが、それでも昔の様子が十分に想像できる。

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5分ほど歩いた先に「草津宿街道交流館」がある。規模は小さいが、展示だけではなく体験コーナーもいくつかあって、昔の街道や旅の様子が良く分かるようになっている。

 

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交流館の手前から東海道は商店街になっているが、その終わるあたりに「道灌蔵」がある。太田道灌を祖先に持つという造り酒屋で、奥行きがあって随分と大きなものだった。

 

草津宿を後にして大津に向かうが、暗くなってしまったので今日の街道歩きは17時40分、瀬田駅付近で終わりにする。瀬田にもホテルはあったのだが、大津のに予約を入れてあったので、電車に10分ほど乗って大津に移動する。

明日はまた電車で瀬田に戻り、いよいよ東海道歩きの最終日、京都三条大橋を目指す予定。

甲西駅付近のホテルから瀬田駅まで22.74km。31,800歩。

この日の総歩数34,913。

por Andres

2010/12/09

旧東海道 27日目

土山宿~水口宿~甲西駅付近のホテル

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「ダイヤモンド滋賀ホテル」から車で土山宿まで送ってもらい、9時40分に水口宿に向けて東海道を歩きはじめる。

 

 

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土山宿を離れると間もなく「松尾の渡し」。松尾川をの河原まで街道は続いているのだが、当然行きどまりになっている。しかし標石の類は一切なく、手前の分かれ道に「東海道を進む方は国道へ迂回を」との指示があるだけで、そこにも「渡し」に関する記載はない。

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水口宿本陣跡に13時10分に到着。

この斜め前に古い民家を改造したカフェがあったので、昼食にする。ランチセットはカツレツとメンチカツしか出せませんが、ということだったが、食べられる所で食べないと先はどうなるか分からないので。

実際、この先ずっと食事のできるところは見当たらなかった。

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昨日、ホテルから迎えに来てくれた車の運転手さんが、水口宿は何もないよ、と言っていた。

その通りで、水口宿の町並みは、道幅は旧東海道のままのようだが、宿場の趣を感じさせるようなものは全くと言っていいほどない。

 

 

 

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水口宿を抜けてしばらく行ったところで見つけた火の見櫓に人が上っている様子を模したもの。立ち止まって見ていると、通りがかった人がこの下の部分の小窓を開けて、中を覗くようにと教えてくれた。

 

 

 

 

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中では人形が回って、この辺りの名産の干瓢作りをしていた。

 

 

 

 

横の公民館にトイレを借りに入ると、ロビーで先ほどの人が話しかけてきた。この先の石部宿にホテルがあるか尋ねてみると、石部にはないが一つ手前の甲西駅周辺に2つあると教えてくれ、公民館員も出てきて地図でいろいろ教えてくれた。

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街道が野洲川に突き当ると、「横田の渡し大常夜灯」がそびえている。高さ10.5mにもなるもの。東海道沿いに大小数多くの常夜灯を見て来たが、これは頭抜けて巨大なものだ。

 

 

 

 

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その先は野洲川をのぞむ小さな公園になっていて、「横田の渡し」跡を示している。

現在はもちろんここは渡れないので、国道1号線に迂回して川を渡る。

 

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再び国道から離れて左に入ると三雲駅(JR草津線)に突き当り、その手前で左折して少し進むと、先ほどの対岸にあたる「横田の渡し」の常夜灯がある。こちらは小さくはないが、巨大でもない。

 

 

 

 

駅前に戻って喫茶店で休憩してからまた石部方向に進む。17時を過ぎてすっかり暗くなった中、車がすれ違うのがやっとという幅の街道を次々に車が通り、懐中電灯を点けて歩いていても危険を感じる。

甲西駅の近くで街道を離れ、ホテルに向かった。

昨日も寒かったが、今日は一日中冷たい風が強く吹いて、より一層寒くなり、寒がりのAmeliaは前からダウンジャケットを着ていたが、とうとうAndresも着ることになってしまった。それでも体が冷え、コンビニがなかった今日の行程で、トイレ探しに苦労した。公民館、お寺、神社などを利用させてもらうのだが、それだけでは足りない。本当に困った一日だった。

土山宿から甲西駅付近のホテルまで26.24km。40,000歩。

この日の総歩数41,033。

por Andres

2010/12/08

旧東海道 26日目

亀山IC(東名阪自動車道)付近のホテル~関宿~坂下宿~土山宿

9時前にホテルを出て500mほどで旧IMGP3128東海道に出る。30分もかからずに関宿の「東の追分」に到着。

ここは伊勢別街道との分岐点で、鳥居は伊勢神宮の遷宮の際に毎回ここに移築しているものだそうだ。

 

関宿は重要伝統的建造物群保存地区に指定されていて、古い建物IMGP3138も多く残され、新しいものも宿場の雰囲気に合うように建てられ、電柱も撤去されているので美しい。観光客が多いようで、私たちがいた間にも少なくとも二組の団体が来ていて、観光客向けの店もちらIMGP3130ほら見受けられる。しかし一方では、他の宿場町だった集落ではすっかり消えてしまっている地元の人々の生活に必要な商店が、ここでは営業している。八百屋、肉屋、雑貨屋等々。それが観光の為だけIMGP3139になってしまった町並みとは違う良さを生んでいる。

郵便ポストも黒で、黒っぽい家々の壁から浮き立つことがないようにしてある。

 

 

 

 

 

ここの名物は「志ら玉」。2個だけ買って近くの地蔵院境内で食べた。あん入りの白玉で素朴な味だった。

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もう一つの名物は「関の戸」。こちらは後でゆっくり食べることにする。

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関宿「西の追分」を11時15分に出、次の坂下宿本陣跡に着いたのは12時35分。

「松屋」「大竹屋」「梅屋」と3つの本陣跡の標石があり、大きな宿場だったことを示している。

IMGP3144しかし国道1号線(旧)が通されて町並みが変えられてしまったせいか、関宿と違ってほとんど宿場をしのばせる風景はなくなって、寂れた集落になっている。

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関宿を出てから坂下宿を過ぎるまで、あったのは坂下宿内の小さな食料品店らしきものだけ。それでも今日は、この先に「バーベキュー鈴鹿峠」という宿泊もできる食事処があるとインターネットで調べ済みIMGP3150なので、安心して進む。やがて看板が現れ、街道から左に逸れて進むと、岩魚を養殖している池や温泉を掘るボーリングの櫓のある店に到着。13時ちょうど。開いていない。本日休業なのか、この季節は休業なのか、廃業したのか分からないが、とにかく営業していない。

庭先で「関の戸」を食べて空腹を紛らす。上品な味。普段なら嬉しい味だが、昼食代わりにするには、直径3cm、厚さ1cmにも満たない上品な菓子は恨めしい。大福か、いっそ「あんまん」の方がありがたい。

気を取り直して鈴鹿峠越えにかかる。IMGP3151箱根と並ぶ難所とされていて、確かに上り坂は箱根よりも急。しかし林間の急坂に入ってから30分ほどで頂上に着いてしまうほどの短いものなので、少なくとも今は難所と言うほどのものではない。

 

 

 

 

 

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鈴鹿峠を越えてから土山宿までが長く感じられた。

土山宿に入る手前、田村川を渡るのに、地図では少し遠回りして国道の橋を渡らされることになっていたが、「かいどうばし」が5年前に架けられていて、迂回せずに済むようになっていた。

橋を渡って田村神社前で左折して進むと、国道と交IMGP3163差するところに道の駅「あいの土山」があって、ようやく昼食にありつけた。15時30分だった。日毎に昼食は悲惨になってきている。

「鰻ライスバーガー」は、半分はそのまま食べ、残りはお茶漬けにして、と指示されているが、そのままの方がおいしかった。

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道の駅を出ると、すぐに宿場がはじまり、本陣跡には16時40分に到着。

ここでも亀山宿でと同じように昔の屋号を家々に掲げている。なぜか亀山よりも少なく、数軒おきにだが。

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土山宿に泊まろうと、二軒ある旅館「大安旅館」と「ますや」に電話をかけるが、どちらも通じない。直接行ってみると、並んである2軒とも人のいる気配がなく、インターホンのボタンを押しても応答がない。4kmほど先の旅館に電話すると、今夜は宴会の予約でいっぱいなので宿泊は受けられないとのこと。10km近く離れた「ダイヤモンド滋賀ホテル」に電話してみると、空室があり迎えに来てくれるという嬉しい返事があって、ようやく宿が確保できた。

今日は関宿で良い見学ができたが、食事と宿泊に苦労した一日だった。

亀山IC(東名阪自動車道)付近のホテルから土山宿まで21.10km。32,800歩。

この日の総歩数34,212。

por Andres

2010/12/07

旧東海道 25日目

内部駅(近鉄内部線)~石薬師宿~庄野宿~亀山宿~亀山IC(東名阪自動車道)付近のホテルIMGP3082

昨夕と逆に、四日市駅から近鉄電車で内部駅に移動し、9時20分に内部駅前から東海道を歩きはじめた。

間もなく杖衝坂。急な上り坂だが、短いので疲労は少ない。

IMGP3084坂の途中に芭蕉の「歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬かな」という季語のない句碑がある。

 

 

 

 

 

 

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石薬師宿本陣跡に着いたのは10時55分。

 

 

 

 

 

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この町は佐々木信綱の生地で、宿場としてよりもこちらの方に力を入れているようだ。

 

 

 

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宿場内の街道は「信綱かるた道」と命名され、彼の作品を記した立て札が、街道に沿って十数メートルおきに36本立てられている。

 

 

 

 

 

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生家と、隣接した資料館が無料公開されている。

 

 

 

 

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宿場のはずれに「石薬師寺」がある。この町はもともとここの門前町として発展したとのこと。

庭の紅葉がまだきれいだったが、作庭があまりにわざとらしくて気に入らない。

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庄野宿本陣跡に着いたのは12時25分。

標石が立っているだけ。

 

 

 

 

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「庄野宿資料館」になっている旧小林家住宅は趣があったが、今日は休館。

 

 

 

 

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庄野宿を過ぎて見かけた常夜灯からは蛍光灯が突き出ていて興ざめだった。

 

 

 

 

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亀山宿本陣跡に着いたのは15時50分。

 

 

 

 

 

 

 

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ここでは、昔の街並みが失われて行く中で少しでも宿場の記憶を留めようと、各家々に江戸時代のその地の屋号を掲げている。

古い家にもモダンな家にも掛けてあり、それを読んで歩くだけで宿場の様子が想像でき、これはすばらしい企画だと思う。

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亀山宿を過ぎて「野村一里塚」。樹齢400年というみごとなムクの木が夕暮れの中に堂々と立っていた。

 

 

 

 

 

次の関宿には適当な宿が無いようなので、今夜は2kmほど手前の亀山インターチェンジ付近のホテルに泊まることにした。

今日はこれまでで最悪の食事になってしまった。石薬師宿の手前にあったスーパーを最後に、庄野宿を過ぎても食事処はもちろん1軒のコンビニも食料品店もなかった。14時ごろに、亀山宿の5kmほど手前の井田川駅(JR関西本線)付近でようやくうどん屋を見つけることができた。食事にありつけただけで満足すべきなのだろうが、つゆの味が濃く、好みではなかった。夕食は、ホテルの位置が町から離れたインターチェンジ周辺ということで心配していたのだが、案の定ホテル周辺には1軒の食事処もなく、隣のコンビニで弁当を買うはめになってしまった。

内部駅から亀山IC近くのホテルまで24.60km。38,100歩。

この日の総歩数38,656。

por Andres

2010/12/06

旧東海道 24日目

桑名宿(七里の渡し)~四日市宿~内部駅(近鉄内部線)

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桑名駅前のホテルから1kmちょっと歩いて桑名宿の中心だった「七里の渡し場跡」へ。

すぐ横に旧大塚本陣で今は料亭になっている「船津屋」がある。

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「七里の渡し」は伊勢湾台風後に造られた堤防で川から遮られているが、昔の様子が十分に想像できる風景だった。

 

 

9時IMGP302945分に「渡し」を出発して東海道を進みはじめる。間もなく街道に隣接して「歴史を語る公園」がある。日本橋から三条大橋までのミニチュア東海道。IMGP3033

 

 

 

 

 

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公園の横は桑名城の堀の一部で、「渡し」のところで川につながっていて、ヨットや漁船が係留されている。

 

 

 

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桑名の町外れで梵鐘屋をみつけた。鐘を売っている店にお目にかかったのは生まれて初めて。

 

 

 

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四日市宿に入ったあたりにある「笹井屋」。ここは「なが餅」が名物。餡の入った餅を長く平たく伸ばし、ほんのり焦げ目がつく程度に焼いたもの。香ばしくて美味しかった。IMGP3081

 

 

 

 

 

 

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「すぐ江戸道」、反対側には「すぐ京いせ道」の文字が刻まれた道標があって、このあたりが四日市の宿場の中心だったらしいが、本陣などは全く残っていない。IMGP3054

 

 

 

 

 

区画整理や新道建設などで道筋そのものが変わってしまったためだろう。

 

四日市宿に着いたのは14時過ぎ。桑名宿から17kmほど。ガイドブックには12.5kmと書かれていたので、予定が1時間以上狂ってしまった。しかも、またもや食事処が無く、街道沿いに一軒だけあったミニストップで口にした「小倉フレンチトースト」とお茶で空腹をしのいで四日市駅前までたどり着いた。

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近鉄四日市駅付近で、旧東海道はアーケードの商店街になっているが、半ばシャッター街になりかけている。

 

 

 

次の石薬師宿まで進むのは無理なので今夜は四日市に泊ることにしたが、宿に入るには少し早いので少しでも先に進むことにする。IMGP3060

四日市の街を外れたところにある「鈴木薬局」。200年以上続く薬屋で現在の当主は11代目だそうだ。この建物も築150年以上。

 

 

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日永の追分。

 

 

 

 

 

ここは東海道と伊勢参宮道の分かれ道で、道標の一面には「左いせ参宮道」、他面に「右京大坂道」と刻まれている。

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ここには地下水が流れ出ていて、何本ものペットボトルに水を汲んでいた方に訊ねると、コーヒーに最適でそのまま飲めるということ。口にしてみると、そんなに冷たくはないが、柔らかい味で美味しい。

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近鉄内部線の終点、「内部」駅で今日の行程を終わりにする。

ここから電車で四日市駅に戻った。電車は小さな3両編成で、座席も乗合バスのように一人掛けのものが左右に1列ずつ進行方向に向かって据えられている。揺れの大きい単線だが、意外に乗客は多かった。

桑名宿(七里に渡し)から内部駅まで23.71km。37,400歩。

この日の総歩数43,052。

por Andres

2010/12/05

旧東海道 23日目

宮宿~桑名宿

午前4時起床。名古屋行きの新幹線は東京駅6時33分発、名古屋駅には9時16分にIMGP2983到着。宮宿スタートは9時45分。宮から桑名までの旧東海道は渡し船で7里だったのだが、今は渡しが無いので、江戸時代に舟を嫌った人たちが通った佐屋街道を歩くことにした。桑名宿まで35Km、今までで一番距離があるので、無理かと思いながら桑名宿を目指してひたすら歩くことにする。

昼食は適当に選んだ「カフェ森」、たIMGP2987またま今日はスクラッチくじのサービスがあり、地元客でにぎわっていた。名古屋といえば、あんかけスパゲティ、メニューを見て早速注文。最初に運ばれてきたのはたっぷりのサラダとトースト。

IMGP2986それは頼んでないと言おうと思ったらすぐに目当てのあんかけスパゲティが出て来た。スパゲティの上に卵焼きとトンカツがトッピングされ、スパイシーなあんがたっぷり。

 

IMGP2988別に頼んだ卵サンドは厚焼き卵をはさんだもので、これまた山盛りサラダ付き。

 

 

 

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さらにプチケーキのデザートにドリップコーヒーまでついてきた。くじでは「コーヒー券」と「のど飴」をゲット。いいレストランでした。

 

名古屋では小倉餡がトーストやサンドイッチにもよく使用されているとIMGP2993聞いていたので、おやつタイムには街道沿いの喫茶店でコーヒーと小倉サンドを注文。食パンにあんこと生クリームをはさんだサンドイッチはアンパンのようなケーキのような…。名古屋は東京ではかなり減ってしまった喫茶店が元気で大いに活用されている。地元の店が大切にされているんだと、うらやましい気がした。

歩く旅だとマンホールのデザインが目に飛び込IMGP2992んでくる。名古屋はもちろん鯱鉾に名古屋城、そして下水道の蓋はあめんぼIMGP2991!?

 

 

 

 

IMGP2995濃尾平野を流れる大河の木曽川、続いて長良川・揖斐川を横切るときに「輪中」の文字が入った看板を見つけた。大きな中州には川の水面より低い土地もあり、台風や大雨は今でも怖いだろうなと思った。

IMGP29961つの橋を渡るのにゆうに15分はかかった。

 

 

 

 

 

佐屋街道を歩いていたつもりが、いつの間にか大きく道を外れていた。GPSに入れた地図データのうち、正しいと思われるものがなぜか表示されなくなり、表示できた方のは不正確だったようだ。気付いた時は戻りようもないほど街道から離れていたので、そのまま桑名を目指すことにした。

少々足を」引きずりながら到着した桑名。

桑名駅に到着したのは18時40分。

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夕食はもちろん桑名の蛤。ホテルから10分の「丁子屋」で「焼き蛤御膳」と「酒蒸し蛤御膳」に日本酒、5万歩も歩いて疲れた身体に心地よい食事でした。

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宮宿から桑名駅まで30.04km。48,577歩。

この日の総歩数50,816。

por Amelia

2010/11/25

旧東海道 22日目

豊明駅~鳴海宿~宮宿~七里の渡し舟着場

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昨夕と逆コースをたどって電車で豊明駅に移動し、歩きはじめたのは9時50分。

1時間弱で桶狭間古戦場に到着。小さな公園になっていて、今川義元の墓などがある。

 

 

 

 

鳴海宿の手前、間の宿有松は絞りの産地として栄えたところで、現在でも絞り製品を生産・販売する店が並んでいる。「有松鳴海絞会館」をのぞいてみる。会館前の人通りは少なく平日の午前中だというのに、それほど広くない展示即売場に客がIMGP2930結構入っている。

近くの「寿限無茶屋」は古い商家をそのまま残しているうどん屋。ここで昼食にしようと思っていたのだが、定休日。

 

 

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幸いすぐ先にあった「やまと」で食事をとることができた。

 

 

 

 

牛肉壺煮御膳(左)と湯漬セット(右)

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こちらはデザート。

味も店の雰囲気も良く、今日は珍しくまともな昼食にありつけた。

 

 

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このあたりから街道の風情を残した町並みが続く。

 

 

 

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有松は風情を残していたのに、鳴海宿本陣跡の立て札の横はごみ集積場になっていた。

到着したのは13時40分。

 

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宮宿(名古屋)に近付くに従って街道らしさは薄れ、ただの街中の道になっていったが、この「笠寺一里塚」には立派な榎が残っている。

 

 

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ビルの片隅に「都々逸発祥の地」の石碑が立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

旧東海道は大通りに寸断され、迂回し歩道橋を渡って街道の続きを辿るような進み方になる。

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宮宿、「七里の渡し舟着場」に到着したのは15時55分。公園として整備され、常夜灯や時の鐘が復元されているが、宿場の名残はほとんどない。

江戸時代はここから船で桑名までの七里を渡っていた。隅田川や東京湾の水上バスのようなものがあれば助かるのだが、ここには現在は航路はない。

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熱田神宮を抜けてバスターミナルに行き、市内の叔母宅に向かう。

今回の旧東海道歩き旅はここまで。今晩は叔母宅に泊まり、明日は午前の「こだま」で東京に戻る。

 

豊明駅から七里の渡し舟着場まで15.72km。25,600歩。

この日の総歩数33,338。

por Andres

2010/11/24

旧東海道 21日目

岡崎宿~池鯉鮒宿~豊明駅

女性に優しい「スーパーホテル岡崎」(女性だけに5個のアメニティプレゼント)を9時に出発、市内をぐるぐる27曲がりに沿って歩く。岡崎城を横目に八丁味噌の工場を目指す。

2軒ある中の「まるや八丁IMGP2863味噌」ではこんにゃく田楽の試食があるのでこちらを見学。小学5年生の社会科見学とかち合い、混み合っていたため、飛び込みで申し込んだ私達の案内は社長さんがやってくれた。気さくで本物の八丁味噌を手作りで作りつづけることにこだわり、誇りをもって生産しIMGP2871ている様子に感動。味噌樽は昔のようには作れないので大事に使ってい、従業員もアイデアを出して自主的に動いてくれるのでありがたいと話していた。

 

 

IMGP286730歳頃までドイツで勉強していたので、外国に輸出することにも力を入れており、スペインも含め25ヶ国に輸出しているとのこと。

(これはスペイン向けのラベル)

 

 

 

 

 

矢作川を越えIMGP2887てしばらく行くと松並木が続く。

歩いていて思わず引き寄せられたのIMGP2886が永安寺の「雲竜の松」。くねくねと横に広がる枝の様子はまさに竜。

その後、昼食場所を探すが旧東海道には相変わらず食堂らしきものはなし。途中のコンビニでミニクロワッサンを買い、公園を探しているとレストランの看板発見。良かったぁとさっそく注文した「味噌煮定食」は生焼けでがっかり。

IMGP2901気を持ち直してさらに進むと知立の松並木。500mにわたって松の古木が続く。

 

 

 

 

IMGP2898池鯉鮒宿はかつて馬市や木綿市が開かれた宿場で、松並木が終わるあたりに馬市之跡碑が立っていた。馬のために道幅が広く確保されていたのが印象的だった。

 

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本陣跡の道標が街道から少し外れていて探すのに一苦労。ようやく見つけた場所は民家の裏手のさびれた狭い場所。街の発展に一役かうかもしれない歴史的な場所なのに大切にされてない。住人の意識の違いがこんなところに表れるのだろうか。到着したのは15時55分。

IMGP2907池鯉鮒宿の小松屋本家で名物の「あんまき」を購入。甘さ控えめめの素朴なお菓子だった。

 

 

池鯉鮒(知立)に泊ることにしていたが、まだ宿に入るには早いし、明日の予定を考えるとできるだけ進んでいた方が良いので、もう少し歩くことにする。17時半まで歩いて、名鉄の豊明駅に。そこから電車で知立に戻った。

岡崎宿から池鯉鮒宿まで16.66km。27,200歩。

池鯉鮒宿から豊明駅まで5.26km。8,800歩。

この日の総歩数38,347。

por Amelia

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