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カテゴリー「甲州道中」の14件の記事

2012/05/18

旧甲州街道歩き旅 15日目 最終日(5/17)

上諏訪駅の近く、前日に街道から外れてホテルに向かった地点に戻ってから再出発。甲州街DSC00337道の終点までは距離も短く諏訪湖沿DSC00342いの平坦な道筋だと予想していたが、意外に上り下りが多い。湖を囲む小高い山々の中腹を縫うように旧街道は通っている。住宅街の中の車がようやくすれ違える程度の道。久しぶりに街道らしい町並みも見られた。IMGP4884DSC00346

 

 

 


諏訪大社下社秋宮のすぐ先が甲州街道終点、中山道とDSC00364の合流点、下諏訪宿。

歩き終えても東海道の時のような感慨が湧いてこないのは、街道歩き二度目だからか、距離が短いせいか、街道に面白みが少なかったためか、三条大橋と石碑一本の違いによるのか。

 

 

 

 

DSC00367本陣(岩波家)を見学する。下諏訪町文化財に指定されていて入館料400円。

 

 

 

 

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しかし壁、襖、畳など建物の傷みが激しい。手入れが行き届いていないようだった。

昼食後、儀象堂(時の科学館)という時計博物館と奏鳴館というオルゴール博物館を見学。

下諏訪駅に行って帰りの列車の切符を購入。まDSC00403だ時間があるので街中を歩いてみることにする。地図に「中央デパート」とあったので行ってみると、それは小さなブティックだった。
街は人通りも少なくシャッター街が続いてすっかり寂れた様子。精工舎系を中心に精密工業が盛んで、郊外には社宅街がいくつも見られたにもかかわらず、中心街は寂れるという日本中に展開する光景をここでも確認させられてしまった。

これで甲州街道歩きは終了。特に最初のうちがゆっくりだったせいで日数がかかってしまった。食事や一服の場所に苦労し、街道や宿場の表示がないことが多く、「街道」が感じられることの少なかった道だった。しかし中央高速を往復することの多い私たちにとって、思いもよらない発見がいくつかあった旅でもあった。

次は日光街道、それとも中仙道?

por Andrés

2012/05/17

甲州街道 14日目 5/16

上諏訪の「ルートピアイン南湖」のIMGP4827朝食でたっぷりエネルギーを補給。今日は昨日と打って変わって晴天。温泉街だけあって上諏訪駅には足湯の設備があり誰でも自由に利用できる。残念ながらゆっくりつかる時間がなく写真だけ撮って富士見駅までもどる。

標高約1000m、高原のさわやかな風を受けながら「原の茶屋」を過ぎてしばらく行くと、よく手入れされた庭のある家々が続く。

「御射山神社の一里塚」はDSC00291エノキとケヤキの両方向かい合って残っているのはIMGP4836甲州街道ではここだけとのこと。樹齢380年のケヤキは周囲6.9m、高さ25mの大木で圧倒されるような存在感があった。

 

こんな不便なところに社宅?よく見DSC00294るとEPSONの「富士見ハウス」と書かれた看板。ここは精密機械工業のメッカ。みなさん、マイカー通勤のようだ。

 

 

 

 

12時半、今日も昼食場所はないだろうなと思っていたDSC00298ら「匠亭」の文字。よかったぁと安堵しつつ中に入ると鹿の頭部の剥製、石のやじり、御神木などが飾られた雰囲気のあるレストランだった。

 

 

鹿肉や猪肉を使ったメニューばかり。DSC00296IMGP4844DSC00297期待しつつお勧めの「鹿肉ソーセージ」「鹿肉のステーキセット」に「黒酢鹿肉丼セット」を注文。

以前バーベキューで食べた鹿肉は硬く癖があったが、ここのはやわらかくて美味。(セット980円、ソーセージ1,020円、総計2,980円)

昼食時間なのに客は私達だけ。ご主人自ら猟に出、狩ってきた動物を捌き、おいしく熟成させて提供する。それでこの値段は安い。予想もしない嬉しい発見だった。

パンフレットによると近年急増した鹿や猪を適正な生IMGP4842息数にして自然環境や農林業を守るために、信州ナチュラルフーズとして活用しようと取り組んでいる。諏訪地方は肉食が忌み嫌われていた時代に諏訪大社から狩猟の免罪符「鹿食免(かじきめん)」(神符)を授かっていたという歴史があり、鹿肉の食文化は生活に深く根ざしているとのこと。経営の難しい山間部でやっていけるのは、長野県の後押しがあるだけでなく、また食べたいとやって来るリピーターがいるからなのだろうか。鹿と人間の共存のためにも駆除ではなく上手に鹿の命を頂きたいと思う。

茅野市に入ると「寒天の里」の大看板DSC00312が目に飛び込む。寒DSC00310天料理の専門店があるといいねと話していたら、街道沿いに寒天茶房「きれDSC00311い」を発見。寒天入りのケーキとコーヒーでおやつ。低カロリーの寒天をいかした料理の開発に力を入れている様子がうかがえた。

「五十一里塚」を過ぎ、上諏訪の街中を歩いていると共IMGP4860同風呂から出てくる人がちらほら。街道にはコンビ二がなく公IMGP4862園にもトイレがないので、緊急事態寸前で共同風呂のトイレを貸してもらった。近所の人が仲良くおしゃべりしながら子ども達も一緒に入浴。温泉を引いている個人宅もあり、湯の町だなぁ、いいDSC00322なぁと思った。

今日の宿は「諏訪レークサイドホテル」。駅から少し遠いが湖沿いの遊歩道がよく整備されていて眺めも良好。

食事がよかったので、さほど疲れも感じることなく充実した1日だった。

por Amelia

2012/05/16

甲州街道13日目(5/15)

天気予報では1日中雨模様。雨量は1mmというのでたいしたことはないだろうと歩くことにする。

電車の時間が早いので、朝食は近所のスーパーでサンドイッチと飲み物を購入し乗り込んだ。日野春駅に到着し歩き出したのが10時半。止むかと思った雨は連続4mmの雨量とのこと。肌寒いので帽子をかぶり薄目のダウンジャケットを着IMGP4767用し、さらに傘をさす。

駅から下っていくと釜無川と笛吹川の合流地点にトーチカのような建物あり。氾濫で多くの犠牲者を出した災害を忘れないためのモニュメントだろうか。

甲州街道歩きは牧原交差点から再スタート。大武川橋を渡り、尾DSC00224白川に出るが、ここも川底には大きな岩がごろごろ転がり、石碑が建っている。

甲州台ヶ原宿に現存する「横山の道標」を見て、古道へ入る。林の中に小さな水路があって趣深い。

 

 

 

 

 

台ヶ原宿は宿場の雰囲気が大切にされていて割合よくIMGP4791整備されていた。

有名な醸造元「七賢」本店の杉玉は存在感があり、和菓子司「金精軒」も現役。たった一つの「レストラン䑓眠」は残念ながら閉まっている。昼食がとれないかもしれないので、くるみゆべしときんつばを金精軒の店DSC00240先で食べ、残りのお菓子はエネルギー切れに備えることにする。

 

 

 

 

 

10分ばかり歩くとCoffeeの文字が目に飛DSC00245び込んできた。時間は午後1時。躊躇することなく「Autumn」の店内へ。マスターが1人。店内には静かにジャズが流れ、本やレコード、CDが天井際の棚までよく整理され積まれている。マスターの好みが詰まった昔なつかしい喫茶店。コーヒーが主体なので、食べ物はケーキとトーストのみ。手造りのカップに丁寧に煎れたコーヒー、チーズとシナモンのトーストでしばし休憩。

「…とにかくぶれないこと。1日に1人しか客が来なくても、来てくれたことに感謝し、本物を提供すること。また来たいと思ってもらえないと田舎ではやっていけない、続ける覚悟がないとね…」と手回しのコーヒーミルで豆を挽き、熱い湯を注ぎいい匂いを漂わせながら、後から来た客にマスターが店を維持する心構えを語っていた。この店には山田洋次監督やアーティストのクマさんも訪れていた。今日の宿をネットで予約し、店内備え付けのノートに感想を記入して、降り止まない雨の中へ出て行った。後IMGP4804半16km、気が重い。

教来石宿を過ぎると眼下に区画整理された水田。かつて明治天皇が巡幸の際、「田植えの様子をここから御覧になった碑」「湧水を飲んで誉めてくださった碑」が建てられていた。他にも「休憩をとられた碑」などが街道を歩いているとかなり目に付く。あIMGP4805りがたくもありながら大人数の対応に村人達はさぞかし大変な思いをしたのだろう。

 

 

 

 

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雨の中、道端に座っていたのは「かかし」だった。

 

 

 

 

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西番所跡には「天保7年の百姓一揆で責任を取り名取から若尾へ改姓させられた」子孫の無念の想いが刻まれていた。

富士川に架DSC00268かる新国境橋を渡り蔦木宿へ。

 

 

 

 

家の軒先にはかつて何をしていたのか示す屋号がかけられていた。

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上蔦木でº東京から175km。

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その先の道は雨でぬかIMGP4824るみ水溜りだらけの土の道。リュックもズボンもじっとりぬれ、エネルギー不足でなかなか先へ進めず。日暮れてようやく富士見駅に到着。電車で上諏訪に向かいわかさぎと鳥のから揚げ定食で夕食を済ませ、「ルーピアイン南湖」に宿泊。

翌日気付いたが、ホテルの目前にヌード劇場「フランス座」あり。古くからの温泉街なのだと実感した。

por Amelia

2012/04/21

甲州街道 12日目(4/20)

9時にホテルを出発。DSC00172

「生繭取扱場所」の看板を掲げた家がある。もちろん現在は営業していないのだろうが、かつて韮崎がこの辺りの物資の集散地として栄えたことを思い起こさせる。

 

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「十六石」は武田信玄が釜無川の治水工事でならべた巨大な石のこと。現在の川筋からは少し離れている。

 

 

 

釜無川は水害を繰り返したことが、このあたりIMGP4737にいくつか見られる「水難供養塔」の類で実感させられる。石碑の裏には亡くなった人々の名が刻まれており、その数にさらに水害の大きさを知らされる。

 

 

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町外れにあたるような地区だが、「屋敷町」と言えるような立派な屋並が続く。新しく建てられた家も大きく風格がある。

 

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釜無川の対岸に渡ると射撃場があった。珍しいものが、と驚いて近づいたが閉鎖されている。国体開催時に造ったのだろうが利用者がそんなにいるわけもなく、地元のお荷物となってしまったのだろう。

川沿いに続く小高いDSC00178山の中腹を縫って徳島堰がある。水量豊富で、流れもけっこう速い。川があると橋やで上を越えたり暗渠で下をくぐったりして続いていた。これは日本三大堰の一つ(他は柳川と箱根)と言われ、1665年に徳島兵左エ門が工事に着手したもの。

 

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どんよりとした曇り空の一日だったが、菜の花は満開、桜は散りはじめてはいたがまだ美しい景色をつくっていた。

 

 

 

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韮崎を出てずっと食事のできるような店は一軒も見当たらず、今日は昼食抜きかと覚悟していたら、昔ながらの喫茶店がポツンと一軒あった。きっとつぶれているだろうと思いながら近づくと、中から明かりがもれ、扉を押して尋ねてみると営業中だった。助かりました。

食後少し歩いて、「牧原交差点」でこの日の街道歩きは終了にした。

ここまでの歩行距離 14.05km 22,115歩

そこから小高い山を超えて日野春駅まで歩き、中央本線で帰宅。

日野春駅までのこの日の総歩行距離 16.72km 26,199歩

por Andrés

2012/04/20

甲州街道 11日目(4/19)

DSC001599時10分にホテルを出て、先ず笛吹川沿いに歩く。土手の上は交通量が多く、気持ちの良いものではない。川から離れて進みはじめると間もなく、古い映画館がポツンとあった。てっきり廃業していると思ったが、正面まで来てみると新作を上映中。現役だった。町外れで、きっと観客は車で来るのだろう。それにしても経営者は本当に映画が好きなんだろう。

石和のDSC00162町を後に甲府に向かう。何の変哲もない町並みが続き、退屈な道。甲府に入ると「連雀問屋街」という表示が目に入った。何軒か問屋らしき店はあったが、寂れてしまっている。

前日に頑張り過ぎたせいか少々疲れていて、朝から何となく歩幅がせまくなっている。甲府城は寄らないことにする。

旧街道沿いには甲府の街中でさえ食事のできるところは少ない。少し外れて駅の方にでも行けばよかったのだろうがDSC00164、それも面倒で最初にあった居酒屋で昼食。

身延道と信州道(甲州街道)の分岐点に石碑。甲州街道ではこうした表示が少ない。

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「伝統ある街を愛しみんなで美しい町にしよう」と書かれた標柱が壊れかけて電柱にもたれかかっていた。美しい町にするにはこれを撤去するのが先決だと思うのだが。DSC00167

山梨県立美術館はミレーを売りものにして有名になったが、近くにはそれにあやかったこんな看板も。ミレーの絵とはかけ離れた内容とデザインに笑ってしまう。

 

 

 

 

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双葉の町に入る手前に大きな「泣石」。韮崎城に火を放って岩殿城に向けて落ちのびる途中、武田勝頼夫人がここで韮崎城を振り返って涙を流したという言い伝えがあるそうだ。

 

韮崎の町に入る手前でようやく古い街並みに出DSC00170会えた。江戸時代まで遡るようなものではないが、この辺りには大きな屋敷が建ち並んでいる。

 

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日暮れ前に韮崎観音の立つ丘の麓のホテルに到着。17時15分。

 

 

 

 

歩行距離 25.07km 歩数37,452歩

por Andrés

2012/04/18

甲州街道 10日目(4/18)

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駅を出て数十メートル戻り笹子餅を買う。先日は10個入りしかなかったが、今日は朝早いので餅はたくさん並んでいる。
自販機でお茶を買って歩き始める。最初はほとんど国道20号を歩く。陽が後ろから差し背中が暑くて汗ばむほど。国道に別れて笹子峠に向かう手前にコンビニがあったがつぶれている。餅を買っていて正解だった。道はどんどん細くなり、間もなく山道になる。「旧甲州街道」との標示はなく、「矢立の杉」への道標だけが忘れた頃にあらわれる。

せせらぎに沿ってそんなに急でもない山道を登り続DSC00099け、「矢立の杉」に到着。太く立派なIMGP4678大木だが、幹の中は空洞になっていて、脇の東屋に掲示してある写真に空洞を通して空を見上げた映像がある。樹を痛めないようにと周りは立入禁止。

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近くに説明音声を流す機械が設置されているが、山奥で電気が来ていないため、これが手回し式。ハンドルを20回まわしてスイッチを押すと音声が流れるというハイテク。すばらしい。

 

 


そこから先の舗装道路は通行止め。山IMGP4687道を歩くが、今度は消えかけたような道で急な上り下りがつづき、やがて渓流に挟まれた狭く急な尾根道を登る。カモシカと遭遇。数十メートル離れたところに立ち止まってじっとこちらを見ている。小さな谷を挟んでいることで安全だと思っているのだろうか。

尾根道がおわって少し舗装道路を進み、笹子トIMGP4688ンネルに出る。現在も使われていて通り抜けることはできるが、トンネル入口の手前でIMGP4690右の山道にそれ笹子峠を越える。


峠を過ぎて下りになっても、トンネル出口付近で舗装道路IMGP4694を横切った以外はしばらく山道。そんなに急でないので脚への負担は少ない。徐々に道幅はひろがっていったが、最後に崖崩れで道がほとんど埋まっているところを通る。舗装道路に出て下って行くと崖崩れの補修工事現場に差し掛かる。通行IMGP4697禁止、工事関係者以外立入禁止と表DSC00120示が出て柵で道が塞がれているが、迂回路はないので柵を乗り越えて進む。人ひとりがやっと通れる幅を残して道は完全に崩れている。昨年9月かららしい。
山道ではカモシカ以外にリスに2回遭遇。
20号に出る手前の集落DSC00125で予想外にCafeを発見IMGP4703。1時を過ぎていて空腹だったので入る。しかし店内に誰もいない。「奥の戸の先、裏手にいます」、との札が出ているので裏に行ってみるが誰もいない。レジスターの電源は入っていて、テーブルには食器が残されているので、直前まで客がいたらしいのだが。あきらめてcafeを後にする。すぐ下の空き地にヤギが2頭つながれていて、1頭はこちらに向かってさかんにメーメーと鳴き掛けてくる。
20号に出て数百メートル逆方向、甲斐大和駅方向に戻り、最初にみつけた食堂うえのやで遅い昼食。親子丼と野菜炒め定食。味付けが濃く量が多い。DSC00130

食後、今夜の宿をネットで予約し歩き始める。この辺りには赤茶色の甲州鞍馬石の石材店が何軒もある。桜も満開。

 

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崩れかけで通行禁止になって何年か経っているような「長垣の吊り橋」。

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ここからは20号線、県道と舗装道路をだらだらと下って行く。

勝沼宿本陣跡に「本陣槍掛けの松」。幹がすばらしい。

勝沼のブドウ園や満開の桃畑を眺めながらスピIMGP4720ードを上げて盆地へと下って行く。

 

 

 

 

 

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夕暮れて来たが、何とか暗くなる前に石和温泉に到着することができた。


ホテルは平日にも関わらずけっこう客が多いと思ったら、大浴場に入ってビックリ。話し声はすべて中国語。ニュースで知ってはいたが、ここまで石和温泉が中国人観光客の人気スポットになっているとは。

por Andrés

2012/04/13

甲州街道9日目 4/12

鳥沢駅から笹子駅までが目標。この次からは日帰りではなく宿泊しつつ歩く予定なので、なんとしても笹子駅までは到達したい。

天気が良く久しぶりの太陽が暑い。帽子、サングラス、手袋、日影のない通りでは日傘をさして暑さよけ。 鳥沢駅から歩き始めてすぐに桜が満開の道に出た。

日本橋から90kmの標識を過ぎた辺りで桂川に架けられた三大奇橋の「猿橋」に到着。

 

橋桁が立てられない深い谷なので、両岸からはね木を4段重ね、最上段に橋桁を渡して作ったもの。国の名勝の1つ。

 下水溝の 蓋も猿橋を中心にデザインされていた。周囲には御土産屋もあり、今川焼き風のお菓子で一休み。

 

 

 

  

駒橋発電所を過ぎて、大月駅前の濱野家で「海鮮おつけだんご」と「五目釜飯」で昼食。海のない県でなぜ海鮮が名物なのだろう?

 

1582年、織田・徳川連合軍に追われた武田勝頼が落ちのびようとした岩殿城があった岩殿山は高さ634m、 スカイツリーと同じ高さとのこと。でも山はそう高くは見えない。人気にあやかろうということなのだろうか?

月橋を渡り、笹子川沿い に遡って行くと花咲宿。下花咲宿本陣の

 

 

 

 

「星野家住宅」は現在も子孫の方が住まわれていて、通りに面した部屋だけ公開していた。代々の雛飾りを見、 国の重要文化財に指定されたため当主が建てた歌碑を移動した話、時々コンサートを開いていることなどをうかがった。 それにしても国道を走る車の騒音がひどい。今や田舎には欠かせない車だが、静かに暮らす妨げの第一も車だろうと思われる。

甲斐国の郡内騒動(1836年)の発端となった農民蜂起の結集地が白野宿、ここから一揆は笹子峠を越えたあたりで暴徒化し、 甲府盆地一帯に拡大。幕府の命をうけた高島藩によって鎮圧されたが、江戸幕府を震撼させた「大塩平八郎の乱(1837年)」 にも影響を与えた一揆だとのこと。飢饉にあえぐ農民を救済できない幕府に人々の気持ちは確実に離れていった時期。明治維新まで30年余り。

笹子駅まではもう一息。 笹一酒造の「酒遊館」でフェイジョア・ワイン(バンジローに似た木の実の一種)、笹子駅近くで「笹子餅」をお土産に購入。

次はいよいよ峠を越える。

歩行距離 23.68km

35,239歩

por Amelia

2012/03/27

甲州街道8日目(3/26)

2ヵ月半ぶりに甲州街道の旅を再スタート。今回は上野原駅から鳥沢駅IMGP4576まで。上野原駅は崖の中腹にあり街道に出るためには急斜面を登ることになる。市街地は国道20号線が通り、商店街が続く。名物の酒饅頭の店を6軒発見。小腹がすいたので熱々の饅頭でエネルギー補給。食べると元気が出てきた。

 

鶴川宿に入るとよく手入れされた庭付きIMGP4580の広い家が目に付いた。門前に春を告げる生け花とゴルフをIMGP4581楽しむ狸の剥製を飾って歓迎の意を表している屋敷あり。見知らぬ旅人の目をも引く心憎い演出に思わずにっこり。こまやかに庭木の手入れをしている家も多く、ゆとりのある暮らしとはこういうものだろうなぁと思う。

大椚一里塚の近くでふきIMGP4587のとうを発見。風はまだ冷たいけれど季節は春。犬の散歩をしていた女性からふきのとうをプレゼントされ、翌日蕗味噌にした。ちょっぴり苦い味噌味でごはんが進む。

 

 

長峰砦跡の一部は中IMGP4593央高速の下、有無を言わせずひたすら伸びる道路上を車がビュンビュン飛ばしていく。

高速を何度も横断しながら歩き野田IMGP4596尻宿へ。

 

 

甲州霊場の第七番札所西光寺の門前にIMGP4597は「甲州道中遍路みち」の看板だけでなく、住職の趣味なのか道路沿いにいろいろな言葉を書いた看板が置かれていた。

荻野一里塚を過ぎた先で見つけた歩道橋は水路IMGP4605にもなっていてきれいな水がさらさらと流れていた。中央高速水道橋?

 

 

 

 

昼食は街道沿いに食堂らしきものがまったくないので、談合坂SAに裏の公園から入り天ぷら地粉うどんとおやきで済ます。平日なのに春休みだからなのかけっこう混み合っていた。

甲州街道の最高地点、富士山の絶景ポイント犬目宿では、雲のせいで残念ながら富士山の一部しか眺められなかった。

天保7年の郡内一揆の頭領IMGP4616だった「犬目平助の墓」で彼が逃亡後、地元にもどり、72歳で亡くなったという案内板に江戸時代にそんなお目こぼしがあったのかと嬉しくなった。

 

 

 

今回は新しいトレッキングシューズの履き心地を試すのに手ごろな上り下りの多いルート。さほど指の痛みも靴擦れもなかったが、久しぶりだったせいか少々くたびれた。春真っ盛りの甲州路、4月の旅が楽しみだ。

本日の歩行距離 18.95km 32,500歩

por Amelia

2012/01/16

甲州街道7日目(1/10)

近代的な構えの相模湖駅を出発。国道20号沿いをしばらく歩くIMGP4373が歩道が狭く車優先の道。与瀬神社を過ぎ高架下の階段を下りてようやく国道から離れたとたん獣道ではと疑いたくなるような山道に入り驚いた。古道を復活させた道のようだ。「甲州古道プロジェクト」の活動で甲州街道をIMGP4381示す標識が増えたのはありがたいが、ゴミ捨て場のそばだったり藪の中にぽつんと置かれていたりであまり大事にされてない。これも東海道ほどには注目されていない甲州街道の特色かもしれない。

IMGP4387吉野宿本陣を過ぎ、相模川沿いをしばらく歩いて藤野駅へ。昼食は藤野駅前のNGOの食堂「アップル」。本日IMGP4393の定食600円はミックスフライに野菜の煮物、冷奴、漬物、味噌汁、ごはん、雅月のお菓子付き。安くておいしかった。

 

IMGP4395関野宿と上野原宿の方向を示す標識の後ろでウルトラセブンが中古車の上でポーズを取っていた。なぜウルトラセブン?

その後、高速に架かる橋を幾度か渡る。奇妙なモニュメントが見え隠れするので何かと思ったIMGP4404ら高圧線の鉄塔に修理するための覆いをかけていたのだ。近づくと2人の作業員が塔の上で仕事に励んでいた。

 

 

 

湖に降りていく高台からIMGP4408浚渫船が湖底の泥を浚っているのが見えた。湖底の泥をどのくらい取るつもりなのだろう。

上野原駅は桂川に面した高台にあり、川沿いで暮らしている人は駅に行くためには高くて長い階段を登らなければならない。駅下の空き地は広い駐車場になっていたがこれといって休む場所も見つからず、寒いので早々に引き上げた。

歩行距離 約13.3km 22,500歩

por Amelia

2012/01/15

甲州街道5日目(1/9)

西八王子から相模湖まで歩く。途中小仏峠を越えるので、今日の行程は少々IMGP4294ハード。西八 王子駅を出てすぐにまっすぐ西に向かう街道に出る。街道沿いのイチョウ並木は葉をすっかり落としていたが、銀杏IMGP4295が枝や根元にまだ残っており、ときどきあの独特の匂いが漂っ てくる。

 

IMGP4299高尾駅に昼前に到着。他に食事場所がなさそうなので、駅のカフェでランチにする。

 

高尾からは山道の色合いが濃くなる。IMGP4302小仏関所跡には石碑のみ。案の定、食堂やコンビ二などはない。ようやく見つけたのは唯一峯尾豆腐店。おやつに「おからドーナツ」1袋350円を買っIMGP4348 た。

 

 

 

 

 

裏高尾をしばらく歩いてIMGP4317いると小仏峠を示す標識がでてきた。峠のふもとにある寶珠寺にはまだ誰も入ってない我家の墓がある。ここでおやつにしようと久しぶりに訪IMGP4318ねてみた。中央高速の車の音がゴーッと響いてくるのが残念だが、ここがわが家族が最後に眠る場所かと思うと何とも言えない気持ちになった。

この辺りで小仏峠から降りてくる人たちとよくすれ違うようになった。祝日なので登山客が多いのだろう。峠まではけIMGP4332っこう急な上り坂で寒い日なのに汗びっしょり。けっこう歩いた後での登りはこたえ た。峠では狸の置物が出迎えてくれた。ここからは下りが続く。

IMGP4342中、中央高速の真下を何度かくぐる。利用度の高い高速だが下から見上げると心もとない。巨大地震に耐えられるのだろうか。

 

小原宿本陣は甲州街道でIMGP4356唯一残っている本陣とのこと。史料館になっていた が、見学者は少ないようだ。

 

 

IMGP4360 人家も増え、相模湖大橋がくっきり見えてきた。

 

 

ここではどの町の道IMGP4367路にも必ずある下水の蓋の絵柄も相模湖大橋をモチーフにしていた。住民を強制的に移動させて作った人口湖。今では観光名所になっているが地元の評価はどうなのだろう。

相模湖駅前の昔ながらの喫茶店でコーヒータイム。疲れた足を休ませる一服はおいしかった。

歩行距離 約20.6km 31,900歩

por Amelia

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