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カテゴリー「日光道中」の10件の記事

2013/03/18

旧日光街道歩き旅 10日目(2013年3/6)

大沢宿~今市宿~鉢石宿(日光)DSC02027

下大沢行きのバスは8時7分発。空気は冷たく爽やか。遠くに見える山々の残雪と青空のコントラストが気持ちを高めてくれる。

 

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杉並木をビュンビュン走るバス、途中で小学生の一団が乗り込んできた。

下大沢からは巨大な杉を見上げながらゆっくりペースで歩く。右膝裏の痛みはやわらいできたが、まだ詰まり感がある。

 

 

 

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「日光杉並木街道」は3つの地域に分けられている。道路脇に「特別保護地域」「保護地域」「普通地域」の表示があり、並木の様子もそれに合わせて保存状態が異なる。

 

IMGP5844巨木にはオーナー制が取り入れられネームプレートが貼り付けられていた。300年も守られてきた木々を後世に残すには、更なる努力が必要なのだろう。

 

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七本桜の一里塚の大杉は「並木ホテル」と呼ばれている。根元の空洞には大人4人が入れ、中は焚火で炭化していた。

 

 

 

 

 

 

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追分地蔵尊で例弊使街道と合流し今市宿に入る。

 

 

 

 

 

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昼食は湯葉料理。湯葉刺しと湯葉天ぷらがおいしかった。

 

 

 

 

 

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ここで没した二宮尊徳の墓まで戻り参拝。大げさな葬式はするな、墓はいらない碑は建てるなと遺言したらしいが、そうはいかないのが世の常。

 

 

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「瀬川の七本杉伐痕」「並木太郎」「銀杏杉DSC02080」などに感嘆し、足元の水路のせせらぎに癒されながら日光の街中へ。

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神橋を左に見つつ、ゴールの「太郎杉」へ午後3時30分に到着。道路拡張の際、切られそうになった木は、今も道路ぎりぎりの場所にあり、窮屈そうに立っている。

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さらに日光東照宮門前まで行くと、「東京スカイツリーとここは高さが同じ634m」の表示。必要かな?

 

 

 

 

 

 

DSC02096到達した記念の写真を撮って日光街道てくてく歩き無事終了!

次は奥州街道かな?

 

 

 

32,500歩 19.00km

por Amelia

2013/03/17

旧日光街道歩き旅 9日目(2013年3/5)

宇都宮宿~下徳次郎宿~中徳次郎宿~上徳次郎宿~大沢宿DSC02005

JR宇都宮駅前にあるリッチモンドホテルから今日の出発点県庁前まで市内循環バスを利用。15分の市内観光。地域の要となる都市だなと感じた。

「上戸祭の一里塚」は江戸から28番目、檜が植えられていた。

 

 

 

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「光明寺」は将軍の日光参拝のときの休息所。境内には入らず先へ進む。

 

 

 

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「高谷林の一里塚」を過ぎて、街道脇の道に入り、昼食場所の「宇都宮餃子館インター店」へ。

 

 

 

 

 

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DSC02012メニューはお粥と餃子。定食はボリュームがあり、単品の餃子を頼んで二人で満足の味と量だった。マスコットの「スタミナ健太」くんは宇都宮餃子の広報として入口で頑張っていた。今晩の宿「日光ステーションホテル」を予約して出発。

 

 

 

智賀都神社を過IMGP5818ぎると、杉並木が近付いて来る。

赤い服を着せられた「うらない仏」の前に3個の丸い石が置かれていた。石仏に願いをかけた後、どれか1つ持ち上げて軽く感じたら願いが叶うらしい。さっそく祈って持ち上げてみたが、重かった…。

このあたりはりんご畑もDSC02019多く「日光りんご」の看板が目を引く。

いよいよ日光杉並木街道。大木の下を車やバスではなく歩くというのが何だか嬉しい。下大沢のバス停まで歩き、日光行きの最終バスに乗った。

 

 

 

 

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JR日光駅前で降りると足元には残雪。寒さに震えながら見た夕暮れの冬の駅舎はきれいだった。

 

 

 

37890歩 23.44km

por Amelia

2013/03/16

旧日光街道歩き旅 8日目(2013年3/4)

小金井宿~石橋宿~雀宮宿~宇都宮宿

冬の寒さが和らいだところで、東照宮めざして5ヶ月ぶりに日光街道歩きを再開。自宅から小金井宿まで電車で2時間あまり。

10時15分にスタート。DSC01985

小金井一里塚は東西に塚が残っており、日光街道ではここだけが国の史跡。大きな榎とくぬぎの巨木が同居していた。

 

 

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風情のある旧居、道路脇にポツンと立っている毛糸の帽子とマフラーを身につけた地蔵を眺めつつ歩く。十字を手にしているのはなぜ?

DSC01988自治医大駅を過ぎたところで、葬式の際飾る花輪が目に付く。この地方ならではの模様なのだろう。

 

 

 

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この辺りは工場が多い。丸大食品関東工場の門IMGP5770庭にはミケランジェロのピエタ像のレプリカや観音像がまつられていた。何を伝えたいのだろう?

 

 

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夕顔の橋の手前に日光道中が通っていたと分かる石仏がある。

 

 

 

 

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石橋宿の本陣跡は井沢茶店となっていた。

 

 

 

 

 

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街道沿いのレストランは閉店が多い。それにしても「韓国家庭料理」の看板脇の建物の崩壊ぶりには驚いた。

 

 

 

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小山駅手前からは街道と平行に新幹線の線路が北に向かって延々と続き、斜め上にいつもコンクリートの長い屋根を見ながら歩いているようだ。宇都宮駐屯地のゲートは嘉手納基地のゲートを思い出させる。

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宇都宮宿の上野本陣跡(現在は駐車場)に到着したのは午後6時。右足膝裏の筋肉に痛みあり。久しぶりなのに無理をしてしまった。

 

 

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夕食はもちろん餃子。駅前の「餃子村本店」で一皿に12の味の「食べくらべセット」950円は初めての人にお勧め。私には定番の健太餃子が一番かな?

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36871歩 22.6km

por Amelia

2013/03/15

旧日光街道歩き旅 7日目(10/23)

小山宿~小金井宿

朝から曇り空。いつ雨になってもおかしくIMGP5672ない空模様。

DSC01827住宅地をひたすら歩き、喜沢の一里塚を見過ごしそうになった。空き地にちょっとこんもり土が盛られているだけ。反対側は林になっていたが、あまり大IMGP5675事にされてないようだ。

さらに先へ進むと車両の入れない遊歩道に入りほっとする。道路面にケンケンパーの足跡の表示があり、ちょっと楽しい。

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小金井宿に近付くと「下野市小金井国分寺中 北」の電柱表示を発見。東京の我家の近くにも似たような地名があり懐かしくなる。

小金井駅前は新興住宅地なのか食べる場所がなく、少し離れた道路沿いの「夢庵」へ。これといった名物メニューがないので、バランス定食なるものを注文した。健康をうたったものについ目がいってしまう。

2泊3日の旅はここで終了。次は、日光まで歩きたい。

14238歩 9.56km

por Amelia

2013/03/13

旧日光街道歩き旅 6日目(10/22)

古河宿~野木宿~間々田宿~小山宿DSC01781

街道から少しはずれて街中の史蹟を見ることにした。歴史地区の歩道がよく整備されていて歩きやすい。残念ながら鷹見泉石記念館と歴史博物館は休館日だったので、街の雰囲気を味わうだけになった。

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「日本三長谷」の1つ十一面観音像のある長谷寺へ行くと参道にあたるところが畑になっていた。

 

 

 

 

 

 

IMGP5654野木町で見つけた蕎麦屋さん「わたなべ」は天ぷらも蕎麦も美味。地元のお客さんが多かった。旅の最大の楽しみが食の私にとって、こういう出会いは嬉しい。

 

 

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野木宿の大日如来坐像は屋根だけの野ざらし状態だがいいお顔をしている。江戸時代に湯島の渡部九兵衛さんが父母の供養のため生国に作ったものとのこと。親孝行のあかし。

 

 

 

 

 

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江戸と日光の中間地点に到達、それぞれに18里。「逢いの榎(間の榎)」は縁結びのご利益もあるらしい。

 

 

 

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休憩場所がなく、和菓子屋の「乙女屋」で一服。お茶に味見用のお菓子も出してくれたので昔の茶屋のよう。疲れもやわらいだ。

 

 

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間々田家本陣跡は看板表示のみ。

その後は小山駅前のホテル東横インまでひたすら歩く。

夕食は居酒屋チェーンの白木屋へ。割引券を利用し安くあげるつもりが、お通しや席料などがついて、結局は高くついた。

34714歩 24.13km

por Amelia

2013/03/12

旧日光街道歩き旅 5日目(10/21)

DSC01736幸手宿~栗橋宿・中田宿~古河宿

今日からは泊まりながらの街道歩きになる。

幸手駅から街道に出ると歩行者天国であちこちでフリーマーケットやフラダンスなどのイベントが行われていた。

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石太菓子店の店先でここの店は美味しいよと通りがかりの青年に言われ「赤飯饅頭」を買っておやつにした。

 

 

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利根川の洪水から江戸をまもるために作られた権現堂川(中川)の堤は桜並木が続く散歩道として利用されていた。

 

 

 

DSC01755栗橋駅近くの「静御前の墓」。義経の後を追ってここまで来たところで義経の死を知り、高柳寺で菩提を弔い、同年、病気で静御前は22歳で亡くなったとのこと。悲恋に人の心は魅かれるものだなと思う。

 

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街中の電信柱に「昭和28年カスリーン台風実績浸水深2.9m 避難場所はいきいき活動センターしずか館」という表示があった。かつての災害の記録は、初めてこの街を歩く者にも緊張感を与える。

 

 

 

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利根川を渡り古河宿へ。

 

 

 

 

 

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白戸市長リコールの幟が目に付いた。市民全員の希望をかなえる行政は大変だなぁ。

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夕暮れに本陣前に到着した。

 

30904歩 21.39km

por Amelia

2012/10/25

旧日光街道歩き旅 4日目(10/16)

粕壁宿~杉戸宿~幸手宿

「春日部市郷土資料館」は市民ホールの片隅。展示スペースも狭く、宿場町を町興しに生かそうとしているのかと思っていたので、肩透かしだった。DSC01694

関宿往還との追分にある日光道標の先、杉戸町に入ると国道4号線の幅が広がり「歩道すきすきすぎーと36」と名付けられた歩道が続く。「36」の数字は北緯36度地点を表し、36度線上に位置している世界の都市と杉戸町を示した地球儀のモニュメントがIMGP5563設置されていた。ところが、背伸びをしても見えない位置に杉戸町があり、何のために作ったのか意図が伝わらない。町の人は気にもとめずに通り過ぎていた。歩道は1車線分の幅が確保されていて、歩道と自転車道に区分けされていた。確かにゆったり歩けるがベンチも並木もなく、だだっ広いだけの道。もう一工夫ほしい。意気込みが尻すぼみで終わってしまったのだろうか。IMGP5567

「斬髪や」の看板発見。ルパン三世では斬鉄剣だったっけ?

 

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宝性院を過ぎると一直線の道が御成街道追分まで続く。ところどころ昭和22年のカスリーン台風で実績浸水深0.5mなどと電柱に表示されていた。

 

 

 

この辺りでやっと東京から45km。しばらく行くと源頼IMGP5579朝が奥州征伐の折、戦勝を祈願して開基したという神宮寺。参道には無縁墓が無雑作に置かれている。この先はどう扱うのだろう。

 

 

神明神社には英国式水準点(几号高低標)を刻んだ石がDSC01719ある。眼の病に効くという「たにし不動」(菅谷不動尊)の絵馬を探したが、みつけられなかった。

 

 

 

 

幸手駅間近の交差点で幸手市商工会青年部DSC01722が「手から手へ幸せを伝えたい」をキャッチフレーズにスポーツ選手の手形を通り沿いにいくつも展示しているのを発見。自分の手とつい比較したくなる。小谷実可子さんの手は意外と小さかった。

 

幸手宿本陣「知久家跡」に着いた時にはすっかDSC01728り日暮れ、足取りも重い。交差点で信号待ちをしていた女性が「どこまで行かれるの?がんばって下さいね。」とねぎらってくれた。

 

 

 

25,000歩 16.44km

por Amelia

2012/10/24

旧日光街道歩き旅 3日目(10/10)

越谷宿~粕壁宿IMGP5521

照蓮院にある「千徳丸供養塔」へ。武田氏滅亡のときに瓦曽根秋山家で勝頼の遺児千徳丸を育てようとした家臣の秋山長慶、幼くして亡くなった千徳丸の菩提を弔うために住職となったそうだ。小さな石塔が回りの石塔に見守られている。秋山家DSC01635の墓が地震のせいなのか軒並み倒れているのが気になった。

小腹がすいて歩きながら食べようと今川焼を買ったら、昨日の売れ残りを温めたものらしくあまりの不味さにがっかり。越谷宿のイメージ、マイナスDSC0163910点。

宿場の面影を残す「塗師屋」の建物を過ぎてしばらく歩き、街道をはずれて久伊豆神社へ。七五三詣での家族や参拝者がちらほら。江戸時代には将軍家の保護が厚かったこともあり長い参道の先には立派な造りの社殿や大きな石碑。IMGP5533

すぐ近くにある天嶽寺の無縁墓の脇、松の木の根元に小さな地IMGP5543蔵。可愛い。

 

 

 

 

 

 

国道4号線に戻り、トラックや車の行きDSC01670かう道をひたDSC01671すら歩く。外観に魅かれイタリアンの「BelPaese」でコーヒータイム。おしゃれな盛り付けが嬉しかった。今川焼のリベンジ、プIMGP5549ラス50点。

ガソリンスタンドは今や「便利やさん」?

 

 

 

 

かつて賃とり橋(193DSC016793年~1954年)だった藤塚橋。春日部市に買収されたあと1965年に架けられた現在の橋はさびの浮き出たごく普通の橋だった。

 

 

粕壁宿の中心に近づくと歩道も整備され、宿場らしい雰IMGP5556囲気になってきた。それなのに本陣跡の表示はどこにもない。行ったり来たりを繰り返し交差点の角にある店辺りかと見当をつける。粕壁宿ののぼりや表示は至る所にあるのになぜだろう?

トイレ利用のため入った「ロビンソン百貨店」でウォーキングシューDSC01683ズのよさそうなのが目に留まり、パンフレットを持ち帰る。靴底に穴があき今まで履いていたリーボックのイージートーンはきついので、膝に負担のかからないものを探そうと思う。

 

 

29,000歩 19.67km

por Amelia

2012/10/17

旧日光街道歩き旅 2日目(10/8)

千住宿~草加宿~越谷宿DSC01565

北千住駅からまずは街道を少しはずれて金蔵寺へ。千住宿の飯盛り女を供養する「南無阿弥陀仏」と書かれた塔、1837年(天保8)の大飢饉の犠牲者を弔う「無縁塔」に手を合わせる。庶民、弱者の命のはかなさ、いつのDSC01569時代もやるせない。

 

 

 

 

 

 

近くには現在足立都税事務所となっている森鴎外IMGP5474旧居(橘井堂跡)がある。鴎外は4年ほどここで暮らし三宅坂の陸軍病院に通っていたとのこと。

 

 

 

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街道に戻り、絵馬屋(吉田家)を外から眺め、伝馬屋敷(横山家)では彰義隊が敗走するときにつけた刀傷を見せてもらった。

槍かけだんごの店「かどや」は三階建てに改築中で、「だんご食べるぞ!」とかなり期待していたので残念だった。

 

 

明和年間(18世紀半ば)に接骨院として開業した「名倉IMGP5481医院」、広い敷地に立派な門構え、看板には「整形外科」の文字、しっかり子孫に引き継がれ、今も現役で活躍している。

 

 

 

荒川に架かる千住新橋を渡り、子育て八彦尊道DSC01600の石柱、道路拡張のため移動させられた地蔵(荒川に顔を向けている)を左手に見ながら北上し、梅島駅近くの「かずき」で昼食。丹波地鶏を使った定食は美味だった。

 

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すっかりきれいに改装された「火あぶり地蔵」を過ぎるDSC01618と草加駅も近い。草加せんべいの看板を掲げた店が目に付く。全国的に販売している有名店が多いようだ。「この地で発祥した塩せんべいはその豊かな味と香りにより草加の名を全国に広めた」と石碑に刻まれていた。

札場河岸跡からは国道4号線と並行して綾瀬IMGP5511川沿いに1.5kmの松並木が続く公園となっている。松の緑に真っ赤な彼岸花、散歩やウォーキングを楽しむ人が多いのもうなづける。

 

 

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蒲生大橋を渡った先に埼玉県内日光街道で唯一現存する一里塚に出る。

 

 

 

 

 

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街中の通り沿いに災害時にLPガスが利用できるタンクが設置されていた。

 

 

 

日暮れにようやDSC01627く青蔵院に到着。夜な夜な山門を逃げ出して畑を荒らしたという左甚五郎作?の竜の彫刻は金網で囲われていた。本当にそんなことがあったのだろうか?

武蔵野線の南越谷駅で二日目終了。乗り換えなしで帰宅できる唯一の日。

27000歩 18.53km

por Amelia

2012/10/09

旧日光街道歩き旅 1日目(9/26)

街道てくてく歩き、今回は日本橋から日光までの140km、10月中には完歩したい。松尾芭蕉はわずか4日で歩いているが、私達は10日以内が目標。

参考図書は 『日光街道をあるく』(大高利一郎著 創英社/三省堂書店 1,800円)、近所の書店には適当なものがなかったので、スタート地点の日本橋にIMGP5403行く前に八重洲ブックセンターで購入。

日本橋の道路元標を確認して北へ向かう。千疋屋と三和銀行の角で右折、製薬会社の多い本町通りから地下道をくぐって横山町へ。地下道には持ち主は見当たらなかったがダンボール製IMGP5408の寝床が整然と設置されていた。暗黙の了解なのだろうか。しばらくすると衣料品の問屋が続く。安いなあと思ったら、DSC01465「小売しません」「素人の方には販売しておりません」と誇らしげにも見える表示、これぞ問屋街というところか。

 

 

 

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浅草橋からは神田川に浮かぶ屋台船を眺め雷門へと向かう。昼食は十数年ぶりに「駒形どぜう」、平日のせいか飛び込みでも並ぶことなく入れた。臭みがなく柔かい食感、江戸の下DSC01485町の味を堪能。

「世界のカバン博物館」(無料、スーツケースのエース提供)を見つけ、見学。人類は大昔からカバンを使用していたんだ、旅好きの私達には必需品、職人技さすがだなぁ・・・DSC01486

 

 

雷門に近づくにつれ、右手にスカイツリーが垣間見えてくる。何度も撮っているのについシャッターを押してしまうのはそのフォルムのせい?

浅草の喧騒は泪橋あたりから薄らいでくるDSC01502

千住回向院で吉田松陰の墓、「解体新書」の翻訳出版のために杉田玄白等が刑死者の腑分けをした場所を示す「観DSC01504臓記念碑」を確認、江戸の町の中心からそう遠くないのに220年間で20万余の重罪人が処刑され、埋葬された小塚原刑場も近い。このあたりは高級住宅地にはならないのだろうなと思う。DSC01510

隅田川に架かる千住大橋を渡ると、松尾芭蕉が「奥の細道」に旅立つために船でここまで来たという「細道矢立の碑」があった。

千住宿のヤッチャバ通りを歩いているとかつての屋号を示IMGP5464す木札が目につくが、以前と変わらず商売をしている家はほとんどないようだ。

見学に時間をかけたので、北千住駅で第1日目終了。

15,690歩 11.9km

por Amelia

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