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カテゴリー「中山道中」の34件の記事

2014/04/10

旧中山道歩き旅 最終日(34日目)       (2014年4/10)

ホテル(瀬田駅付近)~大津宿~三条大橋

昨夜泊まった「ニューびわこホテル」は隣の棟に健康サマーランドがあり、サウナ、ミストサウナ、ラドン温泉などに入り放題。しかし、かつては人気があったであろう健康ランドもすっかりひなびて、壊れた器具や天井のはがれなども修理されないままになっていた。それでも温泉好きの私にとっては至福の時。

昨夜までの旅の疲れもとれて、ゴールの三条大橋に向けて出発。一度通った道なのに記憶に残ってない。しDSC06119かし道標には見覚えが…。「三条大橋迄5里余り」もうすぐだ。

辻末製菓でニッキ餅を買い、看板にIMGP2989大きく書いてあった「タニシ飴」を味見。形がタニシに似ているところから名づけたと店主。味は昔なつかしいニッキ飴だった。DSC06132

交通量の多い「瀬田の唐橋」は川沿いの桜が美しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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和田神社のイチョウは関が原合戦後、石田三成が護送の途中、休憩時につながれたという大木。

 

 

 

 

 

 

 

 

「響忍寺」のトイレを借用した際に住職としばしおIMGP3006しゃべり。寺の門は家老の家のものだったと教えてくれた。IMGP3008

義仲寺は前回見学したので素通り。

滋賀県庁周辺には歴史を感じさせIMGP3019る家並みDSC06155DSC06153があるが、本陣の遺構はなし。「大津事件」の碑も狭い道路の一角にあり、気を付けてないと見落としてしまう。

 

 

国道に出て、逢坂へ。逢坂の関DSC06170址を過ぎると楽しみにしていた「かねよ」もDSC06166すぐだ。ここIMGP3034で「サラダ」と有名な「きんし丼」を注文。桜茶でのどを潤した後に、鰻の蒲焼の上に卵3個を丸々使った分厚い卵焼きがのっかった丼がきた。並を頼んだのだが、しばらく卵焼きはいらないほどのボリュームに満足。

 

 

坂を下っていくと陸橋脇に「これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」(蝉丸)DSC06175の看板、逢坂には蝉丸神社が3ヶ所もあり、百人一首で覚えたこの歌の影響は大きいなぁと思う。DSC06180

陸橋を渡り、坂を下っていくと修理中の「月心寺」に「走井」があった。清水がこんこんと湧き、井戸の苔もすがすがしい。

 

 

 

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DSC06185京都奈良街道の追分道標は車で壊され復元交渉中とのこと。

 

 

京阪山科駅前を通りIMGP3065、最後の急な坂道を越えると三条通りの舗石として敷設されていた車石を使って昔の牛車道を模したという広場へ。車輪で削られた轍はけっこう深い。

蹴上浄水場の桜はすでに終わっていた。IMGP3070

白河橋を渡り、高山彦九郎銅像が見えた先についに三条大橋。

 

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16時40分ゴール!!

総距離534km69宿、昨年の10月から歩き始めて6カ月。合計34日かけてようやく完歩。

 

 

 

 

 

 

 

 

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橋を渡って枝垂桜が満開の「弥次喜多像」と記念撮影。

近くの「コメダ珈琲」でケーキとミルクコーヒーで一休みしながら、五街道踏破したぞとしみじみ自己満足。観光に便利な「ダイワロイネットホテル京都四条烏丸」に宿をとり、染井吉野桜は終わってしまったが、数日春の京都を散策することにする。

夜はモダンな町家「畷」の二階でおばんDSC06238ざいを味わいながら日本IMGP3085酒をちびりちびり。締めのアサリラーメンはあっさり味で美味しかった。明日からは、重いリュックをおろして歩けるのが嬉しい。

 

 

 

三条大橋まで 37,300歩 25.7km

por Amelia

2014/04/09

旧中山道歩き旅 33日目(2014年4/9)

近江八幡…武佐駅~鏡宿立場~守山宿~草津宿~ホテル(瀬田駅付近)DSC06012

近江八幡駅から近江鉄道で一駅、武佐駅まで戻る。昨日は車内でスペイン人としゃべっていて沿線を全く見ていなかったが、町中を抜けると長い直線が続き、結構な距離がある。

武佐駅前から中山道を歩きはじめる。しばらくは、外国人が仕事で来るような会社どころか、商店さえもなく、DSC06017静かな家並みや畑が続く。ところが国道8号線に合流したところにフォークリフト製造工場UNICARRIERSの大きな工場がある。昨日のスペイン人たちは、このフォークリフト工場に来ていたのだ。その先も大工場が続いている。DSC06021

住蓮坊首洗池。法然の弟子の住蓮坊の首をはねた後で洗ったと言われる池。桜は満開、池は涸れている。DSC06024

国道を離れて進むと日野川の土手に出、舟橋がかけられていた跡に出る。もちろん今は橋はないので、少し上流に行って橋を渡る。

 

 

鏡宿には義DSC06032経の宿泊地、元服した池や元服後に源氏復興を祈願した鏡神社など、義経関連の場所が続く。

「道の駅 竜王かがみの里」があったので、少し早めの昼食にする。昨日はまともな昼食がとれなかったので、食べられるときに食べておくことにする。DSC06050

しばらく国道を進んだり、国道と平行する住宅や畑の間の道を歩いたりし、ようやく国道から完全に離れて野洲の町並みに入ると朝鮮人街道分岐点。

 

 

 

 

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さらに1時間近く歩いて、やっと守山宿に着く。もう3時を過ぎている。喫茶店「忍ぶ庵」で休憩。ゆっくり休み、コーヒーとケーキ類の盛り合わせで元気になって再出発。草津まで2〜3時間かかると言われ、ちょっと足を早める。守山宿を出たのは4時。IMGP2945

急いだためか、草津宿には5時20分ごろに到着。東海道との合流点。3年半前に通ったときは、中山道で再びここを訪れるとは考えていなかったように思う。IMGP2948

 

 

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もう、本陣も閉館。

GPSの中山道のデータはここまでなので、東海道のデータを読み込んで歩きはじめようとしたが、どういうわけか読み込めない。仕方なくガイドブックの大雑把な地図を頼りに進むことにする。DSC06096

ところどころ、「野路の玉川」など記憶にある史跡や町並みやある。DSC06103

今夜のホテルは今南草津駅と瀬田駅の中間にある。南草津を過ぎて夕暮れ。ホテルは国道沿いにあるので、街道を外れて数百メートル歩いてホテルに着く。すっかり暗くなっている。

今日は一日中晴れて日差しが強く、午前中から汗をかき、日焼けしてしまった。昨日と同じように長距離の歩きになってしまったが、なぜか疲れは今日の方が少ない。

44,800歩 29.3km

por Andrés

2014/04/08

旧中山道歩き旅 32日目(2014年4/8)

彦根…鳥居本駅~鳥居本宿~高宮宿~愛知川宿~武佐宿…近江八幡駅

桜満開の「彦根城」と「彦にゃん」に別れをつげ、近江鉄道で鳥居本駅へ。ここの駅舎は昭和初期の建築様式を踏襲している無人駅。平成8年には184時間世界最長コンサートを開催した場所でギネスブックにも登録されたという表示あり。IMGP2757

9時半に歩き旅スタート。すぐに合羽所「松屋」の看板。ビニールやナイロンの出現で今はもう文字の消えかかった看板だけが当時の様子を物語っている。

 

 

 

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彦根道との分岐点を過ぎて古宿へ。聖徳太子が合戦で1時隠れた場所や小野小町塚などが現れ、いにしえの都に近付いているんだなと思う。IMGP2783

高宮神社前の宿駅「座・楽庵」でトイレ休憩を取ろうとするも閉店。向かいの高宮神社も巫女さんが使用中とのこと。この辺りは42歳、61歳などの厄年者がまとまって神社に寄付をする習慣があるらしく名前の刻まれた鳥居の柱と美しい桜並木が印象的だった。

 

 

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風情のある提灯屋、本陣跡を過ぎ、犬上川に架かる「むちん橋」を渡る。川渡しや仮橋が有料の時代に渡り賃を取らないというのは画期的だったのだろう。

間の宿「石畑」の辺りで昼食場所を探すが見当たらず。午後1時過ぎに豊郷駅前のパン屋でサンドイッチを購入し、わびしく駅の待合室で昼食。DSC05961

多国籍企業「丸紅・伊藤忠商事」を築いた伊藤忠兵衛翁碑のあるくれない公園は掃除がちゃんとなされておらず、あまり大切にされてないのかと感じた。伊藤忠兵衛記念館は時間がないので通DSC05966り過ぎた。

 

 

 

 

 

 

鮭缶の「アケボノ缶」で利益を上げた近江商人IMGP2818藤野家本宅跡の豊会館。その脇に観音堂(千樹寺)と盆踊りの碑がある。「~音頭」というと近年作られたものが多いが「江州音頭」は天正14年(1586年)発祥。今から400年以上も前から踊られている由緒ある踊りらしい。どんなものか残念ながら見る機会はなかった。

宇曽川に架かる歌詰IMGP2824橋には平将門の首を都に運ぶ途中ここで首が急に目を開き飛び掛ろうとしたので、藤原秀郷がとっさに「歌を詠んで欲しい」と頼むと言葉に詰まった首は地面に落ちてしまったという伝説がある。怖がって「助けて!」と叫んでいたら喰らいついたのだろうな。

愛知川宿のポスト(書状集箱)は明治時代のものと同じ型で宿場の雰囲気にぴったり。今も活用しているのがいい。

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創業200年以上の料理屋「竹平楼」の門構えは武家屋敷のよう。看板を見ると「お昼のミニ会席」が3,500円。もっと早ければここでちゃんとした食事ができたのになぁ。

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愛知川の御幸橋を渡り近江商人のふるさと五箇荘へ。街中の板塀は一部紅柄で縁取られていておしゃれな感じがいい。

 

 

日暮れ時、突然出現DSC05986した「老蘇の森」の桜。それに続く「奥石神社」も緑豊か。子ども達が元気に駆け回っている。ゆっくり散歩したい場所だが先を急ぐ。

武佐宿は近江八幡市の中心から離れている。DSC05993

高札場跡を過ぎると平尾家役人宅、

 

 

 

 

 

IMGP2859旧八幡警察署武佐分署庁舎、

 

 

 

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本陣跡下川家と旧家が続く静かな宿場。

 

 

 

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武佐駅到着は午後6時20分。ホテルは近江八幡にあるので電車に乗ろうと駅で待っている最中にスペイン人男性3人に気づく。「なぜ無人駅に?」と不思議に思い、同じ車両に乗り込んで声をかけると、「ユニキャリア」で一週間の研修に来ているとのこと。一駅わずか数分の会話。パンプローナの出身で横浜や戸塚に住んだことがある、日本とビジネスのやり方が違うので大変だなどスペイン語で話しができた。名前を名乗り合う時間もなく別れたが、もっと時間があったら友人になれたかも…。

夕食はホテルお勧めの「てまり」へ。地元の客が多いが、これといった名物もなく食事面ではあまり恵まれなかったが、偶然の出会いに満足した一日になった。

44,000歩 28.8km

por Amelia

2014/04/07

旧中山道歩き旅 31日目(2014年4/7)

大垣駅…関ヶ原駅~関ヶ原宿~今須宿~柏原宿~醒井宿~番場宿~鳥居本宿~鳥居本駅…彦DSC05685根駅

アパホテルは先週も中国人団体が入っていたが、今回も中国人団体が複数組入っていて、朝食時の様子では客の9割方が中国人という状態。よほどこのホテルは中国人団体の誘致に力を入れているのだろう。

 

 

 

東海道線で関ヶ原駅に戻り、中DSC05692山道歩きを再開。関ヶ原は関ヶ原の合戦はもちろんのこと、壬申の乱の古戦場もあって、多数の戦場や陣を示す案内板が次々に現れIMGP2575る。

不破の関を過ぎるとちょっとした山道。DSC05734

今須峠を越えると今須宿。小中学校の前庭が本陣・脇本陣跡。DSC05742

すぐに車返坂。都の貴族が不破関を訪れようとやってきたが、それを知った地元の人たちが関を修理してしまったので、荒れた関を歌に詠もうと思っていた貴族はここで牛車を引き返させたという話し。

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間もなく「寝物語の里」。美濃と近江の国境。現在も岐阜と滋賀の県境。国境の細い溝を挟んで旅籠があり、寝ながら他国の人と話しができるということDSC05787で、こんな地名が生まれたとのこと。

短い距離で柏原宿。ここは1km以上の長い宿場で、修復された町並みが良い雰囲気を出している。しかもここは奈良井、妻籠、馬籠などと違って家々は生活の場で、観光客向けの店は一軒もない。DSC05802

川沿いに桜並木が続き、きれいな景色。

 

 

 

 

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DSC05807醒井宿の手前で国道に合流したところに喫茶店があったので昼食にする。内装もメニューも名古屋風。「イタパン」。スパゲティ・イタリアン(ナポリタン)+トースト+サラダ。「ピラフ・コンビ」はピラフ、一口カツ、サラダを皿に盛ったもの。どちらもボリュームたっぷり。

少し歩いて醒井宿。豊IMGP2668富な湧き水が街道沿いに流れ、満開のDSC05838桜並木が続き、手入れも行き届いていて、これまで通ってきた宿場のどれよりも気持ちがよい。水の流れを堪能しながらゆっくり歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

1時間ほどで番場宿。特筆すべきものはない。

ここからだらだら上りが続き、名神高速がトンネルに入る手前からは少し急な坂道に。峠を登り切った後で高速道路から離れて小さな集落の道を再DSC05854び上り、摺針峠に。

摺針峠頂上の神社から遠く春霞の向こうに琵琶湖が見える。

峠を下ると間もなく道は車道を離れて林間の山道になる。廃棄物処理場の脇を通って車道に合流すると間DSC05867もなく鳥居本宿に。

宿場に入ってすぐの万治元年(1658)から続く「赤玉神教丸本舗」は、現在も薬局をDSC05872営業している。

鳥居本宿は合羽の製造販売が盛んだったとのことで、合羽屋の看板が少しだが残っている。

本陣跡と脇本陣跡が短い間隔である。DSC05877

近江鉄道の鳥居本駅が近いので、今日の街道歩きはここまでとDSC05884する。

一駅で彦根。駅前のコンフォートホテルにチェックイン。夕食は近江牛と決めたが、駅周辺には良さそうな店がないので彦根城近くのキャッスル・ロードまで行くことにする。駅から1kmちょっと。彦根城の堀端に着くと、城壁沿いの桜がライトアップされ、その向こうにやはりライトアップされた天守閣が小さく見える。

 

 

城の脇を回り込んでキャッDSC05896スル・ロードへ。数軒見て回って「近江や」に入る。近江鶏と近江牛のコース+飲み放題。牛ステーキは柔らかく美味しいが、あらためてこれは「ビーフステーキ」とは全く別の料理だと思わされる。鶏も油が少なく美味しい。デザートのアイスクリームは量が多く、すっかり満腹。

歩いてホテルに戻るが、地方都市としては夜の人出が結構ある。

今日は一日中晴れ。しかし風が冷たく、ダウンジャケットを着ないで歩くと少々寒く感じる時間帯が多かった。さわやかな空気で汗ばむこともなく、歩くには最高の天候だった。

38,600歩 25.2km

por Andrés

2014/04/06

旧中山道歩き旅 30日目(2014年4/6)

東京…名古屋…美濃赤坂駅~赤坂宿~垂井宿~関ヶ原駅…大垣駅

3月末から歩き始め桜満開の京都に入るつもりが消費税8%アップの影響で、とんでもない事件が起こってしまった。事件とは?3月30日夜、いつも使用していたD社のゲルが出発前に届かず、普段使ってない試供品のクリームを使用したところ、たった1gで翌朝顔から首にかけてかゆみを伴い赤く瞼まで膨れ上がる見るも無残な姿に…。大垣市に泊まっていたので、近くの皮膚科でアレグラを1週間分処方してもらったが、症状はすぐに良くなりそうもないので、歩くのをあきらめて東京へ。近所の皮膚科で副腎皮質ホルモン剤の錠剤と塗薬をもらい、1週間後にようやく完治。紫外線の影響もあるかとためらったが、完全防備で行くことにした。

幸い今日は曇り空。ハイネックのシャツ、帽子、手袋、めがね、マスクそして傘という出で立ち。「ぷらっとこだま」を利用。普通車はすでに満員だったのでグリーン車で名古屋へ。名古屋から大垣駅、美濃赤坂駅と乗り継ぐ。大垣から美濃赤坂駅まで鉄道大好き少年と乗り合わせたDSC05632。運転士の様子をじっと見ている姿がかわいい。

石灰石の集積所にもなっている駅の写真を撮って彼らは折り返して帰って行った。

12時半街道歩きをスタート。IMGP2510おやつを買うつもりでいた「五七処」は残念ながら閉店。昭和初期の建物を写真に撮ろうとするも大きなワゴン車が停まっていてこれまたIMGP2513残念。

杭瀬川の戦死者を弔った兜塚は桜満開。DSC05641

照手姫にまつわる史跡がこの辺りには多いようだ。長者にその美貌で客を取れと言われ、拒んだために無理難題を課された姫が籠で水を汲んだ井戸とのこと。最後は夫の小栗判官に迎えられ幸せに。「小篠竹の塚」は姫の墓だと言われている。

 

 

「垂井追分道標」を確認して、相川を渡IMGP2533る。天気が怪しくなってきた。山から冷たい雨と風が吹き降り、川に渡された鯉のぼりがすさまじい勢いで泳いでいる。

垂井宿に入ったところで雨足がひどくなったので「垂井宿お休み処」になっているかつての旅籠「長浜屋」で雨宿IMGP2540り。ボランティアの老人は朴訥だが温かい方だった。雨が小止みになり薄日も差してきたので、歩き旅再開。

「西の見付」「松島稲荷神社DSC05674」から「垂井一里塚」へ。

「野上の七つ井戸」は江戸時代から利用された井戸で、今も使えるつるべ式の井戸。DSC05680

わずかに残っている松並木のIMGP2554休憩所で、鬼饅頭で一休み。

「壬申の乱」のとき、大海人皇子が兵士に山桃を配って勝利したという「桃配山」。ここは歴史の古い地域なんだと納得。しかし看板の「歴史を知る、感じるパワー『ビクトリースポット』 」って余計なのでは?

4時45分に関が原駅到着。DSC05683

駅構内のトイレのそばに、鉄道唱歌の碑があった。

ここから大垣に戻り、前回泊まった「アパホテル大垣」へ。夕食は駅の反対側にある「AQUA WALK大垣」の大豆を使ったヘルシー料理「豆畑」のビュッフェ。「健康にいい食材でも食べ過ぎるとねぇ…。」と言いつつお腹いっぱい食べてしまった。

大浴場で一瞬かぶれた日のことが頭をよぎったが、サウナには入らず早めにあがった。今のところ日焼けもせずかぶれもなく良好。何とか京都まで行きたいものだ。

22,300歩 12.5km

por Amelia

2014/03/30

旧中山道歩き旅 29日目(2014年3/30)

東京…名古屋…穂積駅~美江寺宿~赤坂宿~美濃赤坂駅…大垣駅

所用で一旦東京に戻ったが、今日からいよいよ最後の中山道歩き。今回で京都まで行き着く予定。

新幹線で名古屋へ。今日は「ぷらっとこだま」を使ったので、少し安い。購入が昨日だったのでグリーン車しか残っていなかった。それでも普通に買うより1000円以上安い。しかし沖縄まで10,000円以下で行けることを思うと、新幹線は高い。

新幹線車内で早めの昼食をすませ、名古屋で東海道線に乗り換えて穂積駅へ。自宅を出るときは、かろうじて雨は降っていなかったが、東京駅で降り始め、途中では雨脚が強まっていた。穂積駅では土砂降りではないが、本降り状態の上に風も強まっていたので、ポンチョを着込む。27日に休憩した喫茶店の前まで戻って中山道歩きを再開。

美江寺までは雨風が強く、特に激しい向かい風で傘を正面に向けて前が見えないままで歩く状態。DSC05513

美江寺宿は静かな宿場町の雰囲気は何IMGP2442となく残っているが、特に見るべきものはない。美江寺観音堂には十一面観音が安置されていたが、斎藤道三が岐阜に移してしまった。DSC05519

美江寺千手観音像は新しいもの。

 

雨が上がったのでポンチョを脱いだが、その後も照ったり降ったり。風は相変わらず強い。DSC05534

畑の中の道を進み、揖斐川を鷺田橋で渡り、呂久の集落に入ると小簾紅園(和宮記念公園)。和宮が揖斐川を渡るときに梅の枝を採って来させ船縁に飾ったそうで、それを記念して昭和初期にこの公園を作っDSC05537たそうだ。

近鉄の東赤坂駅前に喫茶店があったので休憩。コーヒーを頼むと、卵サンドイッチ、コーヒーゼリー、メロンがついてくる。名古屋圏の喫茶店文化は本当に素晴らしい。特に歩き旅ではありがたい。

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杭瀬川の岸に「赤坂港跡」。杭瀬川は小さな運河のようにしか見えない。DSC05551

赤坂宿本陣跡の石碑を過ぎて今日の街道歩きは終わり。

左折して美濃赤坂駅へ。地図ではDSC05552東海道本線の駅となっているが、ここは終着駅。現在は無人駅でホームは一本しか使われていないが、他に荒れたホームが何本もあって、その向こうには廃墟のような工場が見える。この工場のために敷かれた路線なのだろう。今は45分に1本ほどの電車が大垣との間を往復している。やってきた電車は2両編成のワンマンカー。大垣まではほんの数分。DSC05558

夕食は駅ビルの「鶏匠庵」で。注文した「鶏ちゃん焼き」は先日の朝食で出たのとは大違い。陶板に鶏モツと野菜を盛り上げたものを、目の前で焼く。辛いタレがかけられていて、体が温まる。

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「鶏つけソバ」も大量のネギが盛られていて、つけ汁も辛いもの。

両方とも美味しかった。

 

 

24,000歩 15.9km

por Andrés

2014/03/27

旧中山道歩き旅 28日目(2014年3/27)

岐阜駅…六軒駅~加納宿~河渡宿~穂積駅…名古屋・・・東京IMGP2365

今日は朝から晴天。名鉄で六軒駅まで戻り、街道歩きを再開。国道でないだけましだが、住宅地の中を通る何の変哲もないつまらない道が続く。

 

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桜が八分咲きになっているのがある。大部分はまだつぼみなのだが、今日で一気に咲き始めた模様。

 

 

 

 

 

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「なか21モール」の歩道に、二枚羽飛行機、腕に羽をつけて飛ぼうとした姿、ヘリコプターなどの絵のタイルが敷かれている。ここは航空機と関係のある地なのだろうか。


新加納の間の宿は枡形ぐらいしか残っていない。

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古い看板を掲げた家がある。建物も古いが、看板はもっと古い。「明治水」と書いてあるようだが。

茶所駅の脇で名鉄名古屋本線の踏切を渡るが、電車の通過待ちで車は長い渋滞。加納駅を過ぎたところで枡形があり、加納宿となる。しかし古い建物は残っていない。昼時になっているが中山道沿いは食事どころはなさそうな町並みなので、駅前通りでJR岐阜駅に行って昼食にする。

食後の中山道もつまらないIMGP2414道だったが、途中で細い裏道に行かされ、進むと乙津寺の境内に入る。結構大きな寺。境内を抜け裏手の墓地を通って川の堤防道路を横切ると河原に下りる階段があり、「小紅の渡し」への矢印がある。この渡しを使うつもりはなかったのだが、ここに出てしまったのだから渡しに乗ることにして水辺の船着場まで行く。IMGP2412舟は向こう岸にあるので手を振って合図をすると、対岸の小屋で腕を振り返すのが見える。こちらに舟を寄越してくれる思って待つが、一向IMGP2411に船頭さんが小屋から出てこない。立て札を読み返してみると、荒天時に欠航するときは対岸に赤旗を出すと書いてあり、よく見ると確かに対岸に小さな赤旗がなびいている。風IMGP2415が強いので欠航らしい。この渡しは県道の一部ということなので無料なのだろう。せっかくの機会だったが惜しい。土手を下流に向かって歩き、河渡橋で長良川を渡る。一層の強風で帽子をずっと手で抑えておかなければならない。

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河渡宿も特に見るべきものはない。疲れたので一休みすることにして喫茶店に入る。コーヒーとカフェオレ。小さなドーナツがついてくる。

今日は美江寺宿まで歩き、美江寺駅から樽見鉄道で大垣に出て帰るつもりだったが、調べて見ると樽見鉄道の電車は夕方でも1時間に1本もない。これでは次回来るときに電車待ちで時間を食うことにないかねない。そこで今日はここで街道歩きを中断し、1kmほど歩いてJR穂積駅から名古屋に出、新幹線で帰ることにする。

名古屋駅で弁当を買って新幹線に乗る。のぞみに乗ろうとしたらホームに長い列ができており、しかも到着した列車の自由席はすでに満員。反対側のホームのこだまは名古屋始発で自由席もガラガラなので、1時間は余計にかかるが、こだまで座って帰ることにした。

33,600歩 24.3km

por Andrés

2014/03/26

旧中山道歩き旅 27日目(2014年3/26)

太田宿~鵜沼宿~六軒駅IMGP2292…岐阜駅

天気予報通り、朝起きると小雨。ゆっくり出発することにしたのでホテルを出たのは9時40分。駅前通りを真っ直ぐ進んで昨日の中山道からはずれた地点まで戻る。この駅前通りには12星座の像が数十メートルおきに並べられている。単なる思いつきなのか何かの意図があるのか。

 

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中山道に戻ると古い街並みが続く。

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旧小松屋(吉田家)。地元出身の坪内逍遥の資料が展示してある。

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脇本陣。おばさんがひとりで拭き掃除をしている。床や柱がつやつやと光っているのは、このおばさんのおかげ。お湯で拭くと木の油がとれてしまうので、真冬でも水拭きしているそうだ。

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本陣は門だけが残っている。

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国道に出てしばらく進むと、やがて木曽川堤防の上を歩けるようになったので助かる。木曽川はゆったり流れたり瀬で急流になったりと、ライン下りが楽しめるようになっている。

美濃加茂市を離れて数キロ進んだところで堤防の上の道は終わり、国道を歩かされることになる。大型トラックが水しぶきをあげてすぐ横を走り抜けるので、嫌になる。

一旦国道から右にそれて岩山を越える道になる。頂上に岩屋観音があり、高山本線のトンネル入口が間近に見える。

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再び国道を進むとつぶれた左側のカフェテラスの先で階段を下り、国道の下をくぐる水路を通って反対側に出る。水路の壁には鎖が取り付けてある。水量の多いときはこれを伝って行け、ということなのだろうか。

ここから久しぶりに山道。うとう峠の上り。車の轍がある道だが、上って行くと汗をかく。IMGP2325

上りきったとIMGP2333ころには団地が広がっているという意外な展開。真新しい図書館があり、雨天のせいもあるのか子供連れの人々が何人も入って行く。下ると池があり、終業式帰りらしい中学生たちとすれ違う。

下り坂の途中から遠く犬山城が見える。

 

 

 

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住宅街の坂を下りきり市街地に入ると鵜沼宿。大安寺大橋はたもとに大きな柳があって京都太秦の映画村のような風情。ここから宿場町らしい街並み。

入口にあった釜飯屋で昼食。店内はゆったりしていてくつろげる。食後、店を出ると雨は少し強くなっている。

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芭蕉の句碑の隣は復元されて真新しい脇本陣。芭蕉が三度も泊まったそうだ。中に入るとボランティアのおじいさんがいて少し説明してくれたが、あとはここを訪れた中にサンティアゴ巡礼路を歩いた人がいるといった類の雑談。長居したくないのに暇つぶしの相手をさせられたようだ。

少し進んで、あとはIMGP2354ずっと国道。各務原駅を過ぎたところに喫茶コロンビアという店があった。駐車場に車がたくさん止まっていて繁盛しているようなので、入ってみることにする。

看板に「モーニングサービス一日中」。

 

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モーニング・サービスの小倉トーストとシフォンケーキを頼んでみる。小倉トーストの方にはゆで卵とサラダにコーヒーゼリーもつき、シフォンケーキには生クリームとコーヒーゼリーがつく。コーヒー380円でこのIMGP2352モーニングがつく。これでは客が入るはずだ。店内には高齢者のグループが多く、仕事をするサラリーマン風の客も。名古屋圏の喫茶店文化はうらやましい。

 

 

雨はさらに強くなった。中山道を少しはずれた名鉄六軒駅で今日の街道歩きを終え、電車で岐阜駅に移動。今日の宿はJR岐阜駅前のホテル・ドーミーイン。このホテルでは、「夜泣きソバ」の無料サーボスがある。小さな丼だが、まともな味のラーメンだった。

28,800歩 18.1km

por Andrés

2014/03/25

旧中山道歩き旅 26日目(2014年3/25)

細久手宿~御嶽宿~伏見宿~太田宿

寝返りを打つだけで地震のように床が揺れる大黒屋の部屋。風呂やトイレに行くのに使う階段もかなり急IMGP2154で危険。襖はくすみ、欄間のしっくいもはがれている。家族の住居は改築IMGP2162されていたが、宿泊客の利用する部屋はとにかく古い。文化庁の登録有形文化財に指定されていた。旧本陣に泊まるという経験も中山道歩き旅ならではだ。ご主人は聞かれたことには答えるが、不必要に説明をしない謙虚な方だった。IMGP2168

「細久手坂の穴観音」にも手書きの説明板。個人の思い入れが入っていて面白い。

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「秋葉坂の三尊石窟」から「鴨ノ巣一里塚」へ。この辺りは竹林が多く道の両側に小さな馬頭観音が祀られている。古い外観を残して改築をしている家があった。

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畑の中にいくつも三角錐屋根の小さな小屋。物置小屋のようだがもとからそうだったのか疑問。御殿馬休憩所でおやつタイム。すぐ先にレストラン「ラ・プロヴァンス」の本日営業の看板。ここで休むべきだったと思うが後の祭り。

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「唄清水」は字の如く何やら音楽らしきものが聞こえてくる。昔の旅人も同じ音を聞いていたのだろうか。

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「一呑み清水」は和宮が江戸まで運ばせ点茶した水。

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「謡坂の石畳」の途中で脇道に入り、隠れキリシタンが墓石の下に十字架を刻んだ石を埋めた場所へ。発掘場所の脇にはマリア像が立っていた。

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「耳神社」は願をかけ供えてある錐を耳にあてると耳の病気が平癒するご利益のある神様。耳が段々遠くなってきているので手を合わせた。IMGP2231

「牛の鼻欠け坂」を降りてからは平地を歩く。「和泉式部廟所」で国道と合流。御嶽宿の「Caffee Shopかくれんぼ」で値段も聞かず注文したランチ。味噌汁のハート型の麩がかわいい松花弁当(650円)だった。

「中山道御嶽館」(館内撮影禁止)で美濃地方の隠れキリシタンが残したマリア像や石を見学。墓地や家の柱などに隠して命がけで拝んでいた様子が伝わってくる。

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「鬼の首塚」は鎌倉時代、乱暴狼藉を働いていた悪党「鬼の太郎」を蟹薬師に祈願して退治した4人の家来が検分のために首を運んでいたところ、首が転げ落ち動かせなくなったので埋めた場所。「桶縄手 今もその名を朽ちさりき 塩漬にせし 鬼の首かも」(十返舎一九)。IMGP2260

伏見宿までは交通量の多い国道。道沿いの水仙が美しい。喫茶店「珈豆屋珈琲」で休憩。水出し珈琲と黒豆珈琲を頼んだら手作りの抹茶碗のような器にカスピ海ヨーグルトが付いてきた。

木曽川に架かる太田橋を渡り、「今渡の渡し場跡」へ。昭和初期まで利用されていたが、現在は公園。

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ブラジル人向けにポルトガル語が併記された禁止行為の看板が目に付いた。日本人はあまりやらないが確かにバーベキューや水泳をしたくなIMGP2278る場所だなぁと思う。

木曽川沿いの堤防をしばらく歩く。外灯に石が五個積まれていた。誰かのいたずらかと話していたら、オブジェだった。

宿は「ルートイン美濃加茂」。夕食は近くの「美濃加茂食堂」で。学生食堂のように好きなものを選ぶ。さんまの塩焼き、きしめん、サラダ、茄子の煮浸しなどヘルシーメニュー。

 

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食後は中京圏なら一度は入りたいコメダ珈琲店へ。コメダこだわりのミルクコーヒーとカフェオレを飲み比べ、小倉トーストを食す。好みの味はミルクコーヒーかな。

今日の私の歩数は50,906歩。自己ベストだ。二日分の洗濯を済ませ、就寝。

45,100歩 27.6km

por Amelia

2014/03/24

旧中山道歩き旅 25日目(2014年3/24)

大井宿~大湫宿~細久手宿

8時半にホテルを出発。この先には食堂はないとのことなので、近くのコンビニでおにぎりを購入。IMGP1952

西行が墨をすったと伝えられている「西行硯池」を過ぎ、美濃16宿を示す石碑を確認。この辺りから上り下りが続く十三峠のハイキングコースに入る。西行は大井で没したという説もあって五輪塔が立っていた。IMGP1954

遠くに恵那山がIMGP1983見える林間の道。

かつて旅人が利用した「槙が根立場」の水戸屋、東国屋、松本屋等の茶屋は小さな棒杭で場所が示されているだけで何もない。

10時過ぎに首なし地蔵に到着。道中の安全を守る地蔵の前で寝ているうちに仲間の首を切られたのを怒り、「黙って見ているとはなにごとだ!」と中間の1人に首を打ち落とされてしまった地蔵。それ以来首はつかないままだIMGP1990そうだ。

坂の上り下りが続いたので、四ツ谷集会所で休憩。きれいなトイレが嬉しい。IMGP1993

「竹折村高札場跡」の田畑の周りには害獣除け電線が張り巡らされていた。理由を尋ねるとイノシシは水田で泥遊びをし、ハクビシン、鹿などは作物を食い荒IMGP2006らすからだとのこと。

「黒すくも坂IMGP2014」には「熊出没注意」の貼り札が出ていた。

藤村高札場を過ぎ、深萱立場へ。休憩所とトイレが設置されていたので、ここでおにぎりとお茶で昼食。

IMGP2050IMGP2051いくつも峠を越え、茶屋跡を見つつ歩いていくと、33体の馬頭観音が安置された「十三峠の三十三所観音石窟」。馬主や村人が道中安全を願って祀ったもIMGP2055の。

「尻冷やしの地蔵」を通り過ぎた所で動物の匂いがするので熊?と思ったら「カタノ・ピッグファーム 瑞浪農場」の看板。養豚場が近くにあるらしい。IMGP2062

2時にようやく大湫宿到着。「是より東十三峠」の石碑。山道ともお別れだ。IMGP2078

大湫宿にある神明神社の樹齢1300年の大杉は3回落雷にあっても損傷軽微、損害皆無。現在幹回り10m、直径3.2m、高さ40m。パワーをもらった。IMGP2090

中山道二つ岩の烏帽子IMGP2101岩と母衣岩も巨大だった。

約600m続く琵琶峠の石畳は一つ一つの石板が大きい。八瀬沢一里塚を下ってIMGP2131琵琶峠西上がり口で石畳終了。

弁財天の池には私達の出現に驚いた白鷺が一羽。細久手宿に入ると長寿クラブ手IMGP2135書きの説明板に変わった。

雑木林を抜けて今夜のお宿「大黒屋」に4時40分到着。大井宿から太田宿間の約40kmの間に宿はこIMGP2149の1軒しかない。春に花を愛でながら歩こうと冬に予約していた旅籠屋で築150年になる旧本陣。ご主人は脱サラして板前の腕を磨いてから戻ってきたとかで、料理は旬の食材IMGP2141が生かされ繊細で美味。鯉の甘辛煮は臭みがなく、デザートのリンゴのワイン煮も珍しく山間いなのに洗練された味に満足した。客は女性2人と私達の4人のみ。テレビもなく入浴も食事前に済ませたので、早々と就寝。

31,200歩 21.4km

por Amelia

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