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カテゴリー「書籍・雑誌」の16件の記事

2013/09/04

「東京プリズン」(赤坂真理)

天皇の戦争責任、あるいは天皇と日本人の関係を正面から扱った作品。留学先の米国の学校でのディベートという形で真正面からこの問題に向き合う一方、天皇の喩としてヘラジカ、大君、母を登場させ、主人公とこれらとの関係で日本人と天皇の繋がりを捉えている。そのため薄っぺらで頭でっかちなものではなく、関係の不明瞭さも含んだ多面性と重層性を表現した作品になっている。昨年、各紙誌の書評欄で最も高い評価を得たのも納得できる。


どう負けるかは自分たちで定義したいのです。それをしなかったことこそが、私たちの本当の負けでした。もちろん、私の同胞が犯した過ちはあります。けれど、それと、他人の罪は別のことです。自分たちの過ちを見たくないあまりに、他人の過ちにまで目をつぶってしまったことこそ、私たちの負けだったと、今は思います。自分たちの過ちを認めつつ、他人の罪を問うのは、エネルギーの要ることです。でも、これからでも、しなければならないのです。


これが作者の出した結論で、ここから私たちはあらためて出発しなければならないのだろう。戦争責任の追及を東京裁判に任せて自らは責任を問うことを放棄し、一方で東京裁判は戦勝国による一方的なものとすることで戦犯を免罪しようとしてきた日本人。一億総懺悔という言葉で責任を一億分の一に均等に薄め、真の責任の所在を曖昧にし、同時に東京大空襲などの非戦闘員への爆撃や広島・長崎への原爆投下によるジェノサイドに見られる米国の明らかな戦争犯罪も不問に付してきた日本。「英霊」と呼ぶことで彼らを犬死にさせた責任を消し去り、自己の特殊利益を「国益」と言い換える人々。

今、こうした者たちが一層大手を振って跋扈している。

2011/11/07

ホセ・ルイス・グティエーレス モリーナ「忘れさせられたアンダルシア―あるアナキストの生と死」

原題「チクラーナ・デ・ラ・フロンテーラのアナキズム―ディエゴ・ロドリーゲス・バルボーサ、労働者にして作家(1885-1936)」

訳文がこなれておらず、意味不明の部分が散見される。

無名のアナキスト活動家の生涯を辿った著作。しかし対象のディエゴ・ロドリーゲス・バルボーサの人物像が明確に浮かび上がってこない。また彼を取り巻く人々や組織、事件等も羅列に終始して、掘り下げられてもいないし、俯瞰して全体の構図が明らかになるようにも描写されていない。

せっかく貴重な題材を選択しているだけに、「覚え書き」からあまり出られていないのが残念。

por Andrés

2011/10/23

M・ジンマーマン/M=C・ジンマーマン「カタルーニャの歴史と文化」

162ページ中、前半81ページまでがカタルーニャの歴史、残りが文化を扱っている。前半の担当がM・ジンマーマンで中世史の専門家。後半はM=C・ジンマーマンという中世文学の専門家が担当。文庫クセジュ(新書)という制約があって中世に重点が置かれるのもやむ得ないのかもしれないが、現代史の記述を簡略化するあまり、POUM(マルクス主義統一労働者党)をトロツキストとしてしまうなど、不正確なものになってしまっている部分が見受けられた。日本語で読める数少ないカタルーニャ史であるだけに惜しまれる。

por Andrès

2011/09/24

ニコス・カザンザキス「キリスト最後のこころみ」

イエスの生涯を描いたものだが、聖書の記述を大幅に換骨奪胎した作品。ユダを裏切り者ではなく、イエスの「神の子」としての生涯を完成するために十字架にかけられるよう、イエスに懇願されて手配した、弟子たちの中で唯一信頼された人物として描いている。

2段組み500ページ近い長編だが、重要なのは最後の60ページほど。イエスは十字架にかけられるが、天使が現れて救い出す。イエスはマグダラのマリアと結ばれた後、ラザロの姉妹と結婚し、多くの子供をつくって一人の人間として幸福な生涯を送る。しかしそれは悪魔が仕組んだ「夢」で、イエスはこの誘惑を払いのけて十字架上の死を受け入れることになる。

イエスの迷いや苦しみを主題に据え、非常に人間的な姿を描いている。聖書との食い違いや、福音書記者のマタイを十二使徒のひとりと混同するなどは、責めるべきではないだろう。しかしこの作品からは、なぜ救いをこの世に求めてはいけないのか、という疑問はかえって深まるばかりでだった。

por Andrés

2011/08/25

アントニー・ビーヴァー「スペイン内戦1936-1939(上)(下)」みすず書房

通史として読みやすく、スペイン戦争の入門としては適している。また、フランコ後に利用できるようになったスペイン国内の諸資料、そして何よりもソ連崩壊後に公開された新史料を利用して、新たな史実が記述されている。

しかし帯にあるような「通説をくつがえす新たな通史」というのは少々誇大広告の気味がある。確かに新史料による新たな史実の発見はあるが、しかしそれらは、従来から共産党支持者以外の立場から主張されていたことを、改めて裏付けたという範囲を超えるものではない。それはそれで価値のあるものであるが。

記述の中心は軍事的動きに置かれ、「戦史」としての性格が強くなってしまっている。そのため戦争に直接かかわること以外の諸党派の政策や、両領域内での人々の生活にはほとんど触れられていない。

一方、著者の立場や姿勢は、一貫して共和派側にもフランコ側にも批判的で、そこから「公平」という評価が出てくるのだろうが、明言してはいないものの、イギリスの「不干渉政策」を消極的ではあっても肯定的に捉えているところに、著者の限界が見てとれる。

本書に意識的な党派性は感じられない。それでもなお、フランコの勝利が共和派の勝利よりはましだったとほのめかしイギリスの政策を正当化するかのような著者の偏向は明らかの存在し、スペイン戦争がいまだにそれを語る人の立場をあぶり出してしまう「現代の課題」であり続けていることを確認させられた。

por Andrés

2010/10/21

堤 未果「ルポ 貧困大国アメリカ」・「ルポ 貧困大国アメリカⅡ」岩波新書

2009年1月のオバマ大統領就任を挟んで、2008年1月に刊行された「ルポ 貧困大国アメリカ」(以下、「I」と記す)と、2010年1月に出された「ルポ 貧困大国アメリカⅡ」(以下、「II」と記す)とで、堤未果はブッシュ時代に拡大し、オバマに変わっても変わることのなかった格差を報告している。

取り上げられたのは、「I」では肥満・ハリケーン被害・医療・教育・戦争、「II」では学資・年金・医療保険・刑務所。

著者は、格差の拡大と更にその拡大再生産との原因は民営化によって企業の利潤追求に全てが委ねられたことにあるとする。

また「II」では、オバマが大統領選で彼を支持した学生や中下層の人々の期待を裏切っていることを伝えている。「II」の中でも記されているように、オバマへの大口献金者が大企業であることを見れば、「Change」の内実がどの程度のものになるかは、いくらかは予想できたことだろう。

この二冊で指摘されている事実がどの程度アメリカ合衆国で一般的に見られる現象なのかを、私自身で検証してはいない。しかし中曽根によって本格的に始められ小泉によって一層推し進められた「民営化」や「規制緩和」といった政策が日本社会にどんな変化をもたらしたかを見れば、著者の指摘の妥当性は明らかだろう。効率だとか経済性といった口実の下に推進された民営化は成果を上げたかの錯覚を与えているが、ほとんどは賃金引き下げや長時間労働・過重労働を強いることで実現しているに過ぎない。もちろん小泉たちにしてみれば、それで大成功なのだろうが。

しかしそうして肥大化した企業の利潤と削減された家計収入や消費意欲が、「失われた10年、20年、30年・・・」となってやがて全ての企業の首も締めて行くことに彼らは気付かないのか。近視眼的な利潤追求に走ったことで資本主義の足元までも掘り崩しているのだが。

por Andres

2010/09/18

池上 英洋「恋する西洋美術史」光文社新書

なかなか興味深い著作。絵画の持つ意味を、ただ素晴らしいとか美しいとかといった印象だけではなく、物語としても観賞できるようになる良い手引き書。

残念なのは、新書の粗い白黒写真では解説された意味を図版の中に見いだすのが難しいこと。本物に接するか、せめてまともな画集で見直せば良いのだろうが。口絵にある10作品のようにカラー版で全作品を掲載してほしいものだ。オールカラーの新書も何点か存在するのだから、不可能ではないはず。

por Andres

2010/09/07

パウロ・コエーリョ「星の巡礼」

読み通すのが苦痛だった。

「星の巡礼」と題して、サンティアゴ巡礼が主題と思わせているが、内容は安っぽいロール・プレーイング・ゲームのような課題を安直にこなして行くといったものでしかない。主人公には上昇志向の臭いが漂い、「教えを知的に理解することばかりに興味を持っていた」とか「知性を鼻にかけていた」などと書いてあっても彼からは知性は全くと言っていいほど感じ取れない。結末も安易。

訳者あとがきによると、主人公の属するRAM教団は実在するもので、パウロ・コエーリョもその一員であり、これは自伝的作品のようだ。

宗教の宣伝文書だろうが信仰告白だろうが、それだけで作品の価値がなくなるわけではない。しかしこの作品は宣伝文書でしかなく、単なる信仰告白から一歩も出てはいない。

por Andres

2010/08/27

パウロ・コエーリョ「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」

自信を失い人生に迷う29歳の女性ピラール。奇蹟の治癒力を持つ修道士の幼馴染と12年ぶりに会い、真実の愛と信仰心を取り戻して行く。聖母に導かれ啓示を受けながら二人は愛を育て信仰の道、人々を救う道を共に歩む決意に至るのだが、ピラールが何にどう迷っているのかはさっぱりわからない。
ピラールは幼馴染も属する「カリスマ派」の祈りに参加するのだが、それは一心不乱に歌って踊り、円陣を組んで順にそれぞれの神への願いを言うというもの。傍から見れば怪しげな宗教団体の(カトリックも含めて凡そ宗教団体はすべて怪しげなのだが)儀式でしかないもの。
作品全体がこの儀式と同様で、作者と信仰を同じくする者や、何者かから救ってもらいたくて仕方のない者にとっては深く頷きながら読み進められるのだろう。しかしそうでない者には、これは街で配られたり家のポストに入れられている宗教勧誘のビラ以上のものではない。
この作品そのものには問題にするに値するような価値はどこにも見出せないが、これがベストセラーになるような世界は問題にしなければならないだろう。

por Andres

2010/08/10

関哲行「スペイン巡礼史」講談社現代新書

サンティアゴ巡礼の歴史を、様々な角度から読み解いたもの。キリスト教信仰だけではなくその下層に潜む土着信仰も含めての宗教的背景。巡礼者が抱えていた信仰心だけではない事情。中世にもあった巡礼の「観光」的側面。巡礼都市の発展。巡礼者への慈善活動の政治的側面。こうしたことがコンパクトな中に凝縮されてまとめられており、読み応えがあった。

昨秋、マラガの書店で多種多様なサンティアゴ巡礼案内書が並べられているのに驚いた。今年が聖年に当たるためでもあったのだろうが、それだけではないようにも思う。日本の書店にもその種の本が何種類も並び、Mixiには「El Camino巡礼」というコミュニティがつくられるなど、新しい観光としての盛況もあるだろう。あるいは新たな信仰が求められているのかもしれない。

por Andres

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